DAILY SHORT COLUMNS - Daily Business -

 
   
2004.06.21
軍国主義者は戦争を知らない

実は日本はいまだに太平洋戦争の総括が出来ていないのではないでしょうか。もちろん、たくさんの犠牲者を出しました。アメリカにボコボコにやられました。しかし、戦後の発展をみたときに、本当に負けたといえるのか。

犠牲者が出て気の毒だとかそういうこととは別の収支決算、コストパフォーマンスの算出をしてみようという試みに、歴史、人文関係系の人がなぜ取り組まないのかが不思議です。少なくとも個々の人間の合理化のための言い訳よりははるかに一般性のある問題ではないでしょうか。

〔「死の壁/養老孟司著」の一節より〕


2004.06.11

実の経済

もう一つ、昔からあるのが実の経済。これは明らかに、例えば、実際に物資が動いたりするのにコストがかかって、そのコストの対価として払われている金がある。ところが、実体経済に一番大きな穴があるのはどこかというと、金というのは、政府が自在に印刷できる点です。要するに兌換券ではなくなったために、現物との関係が今、切れている。そのため、完全に信用経済になっている。

『貨幣論』(筑摩書房)のなかで岩井克人氏は、「『貨幣は貨幣として使われるものである』というほかにない」と書いています。金には何らかの価値の根拠があるわけではない。その金が何で通用するかというと、私が使った一万円を貰った相手が同じ一万円として使えるという思い込み、でしかない、ということです。次に、その一万円を受け取った人が相変らず一万円として使えると思っているという、「と思っている構造」の中で通用している。これが実は裏付けがない。だから、別な言い方をすれば、紙幣の発行には限度がない。「と思っている構造」が成立する以上は幾ら刷ってもいい。

こういう状況で、考えておかなくてはならないのは、日本政府なり、世界中なりが、経済統計のみを問題にしているということです。経済統計というのは非常に不健康な部分を持っている。なぜなら現在のように紙幣が自由に印刷できるという状況だと、統計そのものが「花見酒経済」になっているからです。

樽が真ん中にあって、八つぁんと熊さんが担いでいて、八つぁんが熊さんに十文渡して一杯飲む。次には熊さんが八つぁんに十文渡して飲む。そうすると、樽酒はどんどん減っていく。この八つぁんと熊さんの金のやりとりは、実は経済統計を極めて単純化したものです。経済はちゃんと動いている。にもかかわらず、ひたすら目の前の酒が減っている。これを経済的な発展と捉えていいのか。

仮に兌換券という考え方が正しいとすれば、最終的な兌換券の根拠となるのは何か。それはエネルギーになるのではないか。例えば、一定量の石油に対して一ドルというふうにドルを設定すると、それが恐らくは最も合理的な兌換券なのです。

石油の絶対量に比例していますから、石油が切れたらアウトだということはわかっている。石油だけじゃなくて、原発一基当たりでも何でもいい。

要するに都市生活、つまり経済というのは、エネルギーがない限り成り立たない。これは大前提です。すると、一エネルギー単位が実は一基本貨幣単位だというのは、実体経済のモデルとして考えられるのではないか。

〔「バカの壁/養老孟司著」の一節より〕


2004.06.10

経済の欲

結果として、経済の世界には、実体経済に加えて、ほかの言葉がないのですが「虚の経済」とでもいうべきものが存在している。虚の経済とは何かというと、金を使う権利だけが移動しているということです。

ビル・ゲイツが何百億ドルかを持っているということは、彼が何百億ドルかを使う権利を持っているということに過ぎない。その権利が他人に動いたって、第三者から見れば痛くも痒くもない。

それが個人に集まろうが、集まるまいが、実は、大勢からみれば大した変わりがない。その権利のやりとりという面が非常に大きく扱われてしまう。それが虚の経済です。

お互いに話し合って、「おまえ、そんなに金を持っていたって使いようがないだろう。おれのほうは要るんだから、ちょっと回せ」という話し合いがつけば、それだっていい。それは虚の経済と考えられる。

〔「バカの壁/養老孟司著」の一節より〕


2004.06.09

経済の欲

よく似た現象が、経済の世界にも存在しています。百万円がないと首をくくった人もいれば、何億円も一瞬で稼いで、ドブに捨てるみたいに使っているやつもいる。金額の大きい方は、お金を触ってすらいない。武器でいえばミサイルとか原爆と同様の世界になっている。欲望が抑制されないと、どんどん離れたものになっていく。根底にあるのは、その方向に進むものには、ブレーキがかかっていない、ということです。

金というと、何か現実的なものの代表という風に思われがちですが、そうではない。金は現実ではない。

金は、都市同様、脳が生み出したものの代表であり、また脳の働きそのものに非常に似ている。脳の場合、刺激が目から入っても耳から入っても、腹から入っても、足から入っても、全部、単一の電気信号に変換する性質を持っている。神経細胞が興奮するということは、単位時間にどれだけのインパルスを出すか、単位時間にどれだけ興奮するかということです。

これはまさに金も同じです。目から入っても耳から入っても、一円は一円、百円は百円と、単一の電気信号に翻訳されて互いに変換されていく、ある形を得たものです。これは、目で見ようが耳で聞こうが同じ言葉になるのと同じで、どのようにして金を稼ごうが同じ金なのです。金の世界というのは、まさに脳の世界です。

ある意味で、金ぐらい脳に入る情報の性質を外に出して具体化したものはない。金のフローとは、脳内で神経細胞の刺激が流れているのと同じことです。それを「経済」と呼称しているに過ぎない。この流れをどれだけ効率よくしようか、ということは、脳がいつも考えていることです。経済の場合にはコストを安くしてやろうという動きになる。

かつては、金を貯めて大きな家を作りたい、車を買いたいと、金と実物が結びついていた。もちろん、今でもそういうことはあるにせよ、どんどん現実から遊離していって、今は信号のやりとりだけになっている。

〔「バカの壁/養老孟司著」の一節より〕


2004.06.08

合理化の末路

我々は今日まで一生懸命、単調な社会を延々と作ってきた。例えば、かつては働かなくても食える状態に近づきたいという気持ちが共通の原動力となって、これだけ生活が便利になった。

以前なら、十軒で耕していた田んぼを今は一軒でやっている。そうすると、九家族は遊んでいるわけです。農村人口が減っていくのは当たり前で、合理化すれば、九家族は別なことをしなければいけない。機械化等の合理化によって、一家族が働いただけで、かつてなら十家族が働いていただけの上がり、収穫が出てしまう。今よりさらに肥料をよくして、機会をよくすれば、もっと収穫が上がるかもしれない。

では、その遊んだ分は一体どうするのかということを本当に考えてきたか。合理化、合理化という方向で進んできて、今もその動きは継続している。が、それだけ仕事を合理化すれば、当然、人間が余ってくるようになる。

この余ってきたやつは働かないでいいのか。仮に、その分は働かなくていいという答えを出すのなら、今度は働かない人は何をするかということの答えを用意しなければいけない。

退社後、毎日が日曜日で何もすることがない老人は、それに近い状態です。しかし、彼を理想の境遇だという人は最早なかなかいない。そのへんのことをまったく考えないまま、よく言えば無邪気に、悪く言えば無責任でここまで来た。にもかかわらず、いまだに合理化と言っている人の気が知れない。

〔「バカの壁/養老孟司著」の一節より〕


2004.06.07

理想の共同体

おそらく、社会全体が一つの目標なり価値観を持っていたときには、どのような共同体、家族が理想であるか、ということについての答えがあった。それゆえに、大きな共同体が成立していた。

とすると、どういう共同体が理想か、という問題を考える場合、実はその問い自体に大した意味はないのではないか。

家族でいえば、大家族とか核家族とか、そういう形態は、あくまでも何を幸福として目指すのかということの結果でしかない。同様に、あくまでも共同体は、構成員である人間の理想の方向の結果として存在していると思います。「理想の国家」が先にあるのではない。

かつては「誰もが食うに困らない」というのが理想のひとつの方向でした。今はそれが満たされて、理想とするものがバラバラになっている。だからこそ共同体も崩壊している。昨今の風潮でいえば、こうしたバラバラであることそのものが自由の表れであるかのような考え方もあります。これはどこか「個性」礼賛と似ている。

しかし、そうではないのではないか。「人間ならわかるだろ」という常識と同様、人間にとって共通の何らかの方向性は存在しているのではないでしょうか。

〔「バカの壁/養老孟司著」の一節より〕


2004.06.06

共同体の崩壊

個人にとって見過ごされてきたのが「身体問題」だとすれば、社会にとってのそれは「共同体」の問題でしょう。デカルトは「良識は全ての人に与えられている」と言っています。

普通にこの世の中、共同体の中で暮らしていれば、「共通了解」に達する、はずでした。ところがその「共通了解」が戦後の日本では偏ったか失われたかしている、ということになる。「共通了解」のもとになる共同体が一方で残っていて、一方で壊れてしまっているのが日本の社会の難しいところです。

昨今は不況のせいで、どこの企業でもリストラが行われている。しかし、本当の共同体ならば、リストラということは許されないはずなのです。リストラは共同体からの排除になるのですから、よほどのことがないとやってはいけないことだった。

本来の共同体ならば、ワークシェアリングというのが正しいやり方であって、リストラは昔で言うところの「村八分」。だから、それを平気でやり始めているあたりからも、企業という共同体がいかに壊れているか、ということがわかる。
 
〔「バカの壁/養老孟司著」の一節より〕


2004.06.03


■グーグルのウォール・ストリートへの挑戦状(長谷川克也氏)


 4月末、グーグル社が証券取引委員会(SEC)にIPO(株式上場)の申請を行った。既に1カ月が経ち、様々な報道もされているが、このIPO申請の持つ意味を改めて考えてみたい。

 グーグルは、スタンフォード大学の大学院生2人が創業し、一流ベンチャー・キャピタルの出資を受けた典型的なシリコンバレー・ベンチャーである。1998年の創業から5年あまりで年商は1000億円近くに達して今も急成長を続け、従業員は2000人近くを擁する。上場を果たすと、創業者は数千億円のキャピタル・ゲインを得、従業員も全員、何某かのストック・オプションで小金(もしくは大金)を手に入れる。マスコミにとっては絵に描いたような成功物語であり、ウォール・ストリートにとっては、4年近く停滞したシリコンバレー経済を活性化し、株式市場に活気を取り戻す期待の星である。

 しかし、このIPO申請は単なるシリコンバレーの成功物語以上に深い意味を持っている。それはグーグルがIPO申請の中で、様々な面で一般的な上場会社の常識に挑戦しようとしているからである。S―1と呼ばれるIPO申請書類は、SECに提出される百数十ページの無味乾燥な法律文書だが、グーグルのS―1には、冒頭に創業者が自らの考えを記した手紙が添えられている。このような手紙自体が異例であるが、そこに記された内容は下記のような点で非常にユニークである。

・グーグルの経営は、上場後も長期の創造性、成長性を重視する。四半期毎の業績予測の達成を至上命題にして、ウォール・ストリートのアナリストのご機嫌を伺うような短期的な経営は行わない。

・会社の長期的成長には、安定性と独立性が必要である。そのためには現経営陣が会社の支配権を維持することが最もふさわしい。従って、上場後も普通の上場会社のように一般株主にコントロール権を渡すことはしない。そのため議決権に10:1の差がある2種の株式(デュアル・クラス・ストック)を導入する。

・同社は既に利益を上げ、十分なキャッシュもあり、資金調達という意味では上場の必要はない。しかし非上場でも一定の規模になると、法律で上場企業並みの情報公開が求められ、非上場のメリットがなくなったので上場するのである。

・従業員を手厚く遇する。短期的な収益確保のために従業員の福利厚生を削るような会社にはしない。IPOする理由の一つも、ストック・オプションを持つ従業員に流動性を提供することにある。


 これらの考えや方針に共通するのは、「会社は株主のもの」と考える株主主権主義、そして、会社を株式銘柄という名のついた金融商品として扱うウォール・ストリートの論理への強い疑問である。今まで何度か本欄コラムでも触れたが(「会社はこれからどうなるのか?」「会社は、誰のもの?」 「強まるストック・オプション制度への風当たり」)、シリコンバレーのベンチャー企業は、いわゆるアメリカ型の株主主権主義とは必ずしも相容れない会社像を持とうとしているように見受けられる。今回のグーグルのIPO申請も、そのような動きの一環として捉えることができるのではなかろうか。

 その原点にあるのは、「会社は、新しい価値を社会に生み出すための器」という思想である。新しい技術や新しいビジネスで世の中を変えようというビジョンと強い意志を持った人達が金や知恵を持ち寄り、何年かの間、全力疾走するのがシリコンバレーのベンチャー企業である。それは必ずしも四半期毎の営業成績に直結するとは限らず、またリスクを伴う長期の投資も必要である。このような会社観に立つと、ウォール・ストリートの仕組み、つまり上場会社の仕組みには、素朴な疑問が湧く。

 新しい価値を生み出す活動が、なぜ四半期毎に必ず利益を生まなければいけないのか? なぜ、新しい価値を生む根源である知恵を提供する従業員よりも、コモディティーである金しか提供していない株主の方が力が強いのか? なぜ上場したら、今まで新しい価値を生むことに成功してきた人達が、短期的な収益に一喜一憂する人達に、会社の支配権を明け渡さなければいけないのか? 株価次第で今日は株主になり明日は株主でなくなる人達が、新しい価値の創出に本当に興味があるのか?

 シリコンバレーから見ると、ウォール・ストリートの期待する上場会社の仕組みは、会社を株という形の錬金術の道具として使う人達のための仕組みであり、新しい価値を生み出す仕組みとしては必ずしも適していないのではないか? というのが、グーグルの疑問なのである。彼らはその疑問に対する答として、金融商品としての株と、会社の支配権としての株という、株式の持つ2つの役割を、デュアル・クラス・ストックという形で分離することにした。このような会社形態を取って、株式の流動性を提供することでウォール・ストリートを満足させつつ、新しい価値を社会に生み出す活動は、上場後も今まで通りにシリコンバレー流で継続させる、と宣言したのである。

 挑戦状を突きつけられたウォール・ストリートはどう反応するのであろうか? 新聞紙上での報道を見る限り、株主によるガバナンスというウォール・ストリートの常識を否定する動きに違和感があるものの、長年に渡って構築されたウォール・ストリートという巨大システムの中では、たった1社の特異な動きと捉えられているようである。彼らにとっては、グーグルが高い株価を維持する限り、創業者の手紙など、若僧のたわ言と聞き流しておけばいいのであろう。逆に株価が落ちれば、ウォール・ストリートの論理に従って、舞台から消し去るだけなのかもしれない。

 またシリコンバレーにとっても、ウォール・ストリートの論理に挑戦することは、天にツバすることにもなりかねない。シリコンバレー・ベンチャーへの資本供給の中枢を成すベンチャー・キャピタルは、上場や買収という形での投資資金の流動化を前提にしており、ウォール・ストリート無しでは成り立たない。またシリコンバレーの活力の原動力である一般社員に対するストック・オプションも、また創業者の持ち株も、公開市場での株売却の道がなければ、単なる紙切れでしかない。つまり、リスクを犯して金や知恵を持ち寄った人達が、新しい価値の創造に成功した対価として社会から報酬を受け取ることができるのは、ウォール・ストリートの仕組みのおかげに他ならないからである。

 グーグルは、株主主権主義に取って代わる新しい時代の会社像を開拓する先駆者なのか? それとも、ウォール・ストリートという巨大な風車に立ち向かって、鬨(とき)の声を上げるドンキホーテでしかないのか? 今後の動きに注目したい。

◆長谷川克也氏◆◆
 東京大学工学部卒、同大学院修士、松下電器産業入社。GaAs IC, 画像処理LSI等の研究開発に従事。90-92年スタンフォード大学客員研究員。96年より再びシリコンバレーに渡り、松下電器のベンチャー・キャピタル組織の設立に参画、多数のベンチャー投資、事業開発を手がける。2002年松下電器退社。現在、ベンチャー・コネクションLLC社マネージング・ディレクター。

〔日本経済新聞〕


2004.06.01


■ウィニー事件の波紋(1)――ソフト研究者、方向性失う

 ファイル共有ソフト「Winny(ウィニー)」の開発者が著作権法違反ほう助の疑いで逮捕されてから約2週間。逮捕された東大助手の支援サイトができ、ネット上での議論はその後も静まる気配がない。2002年に登場し、累計200万人が利用した国産ではまれなソフトであるウィニー。ウィニー事件は何を問いかけたのか。逮捕後の動きを追う。

 20日、インターネット上でひそかに新しい「ウィニー」が誕生した。暗号化機能などを強化。古いウィニーに比べ、誰が利用しているのか、また交換されているファイルの中身が何なのかが分かりにくくなる。作者は不明だが、開発者の逮捕でウィニーを根絶しようとした捜査当局の思惑通りに事態は進んでいないことを示した。

 日本中のインターネット回線が相互接続される結節点のインターネットエクスチェンジ(IX)。そのひとつ、インターネットマルチフィード(東京・千代田)では今月10日を境に急減した通信量は低水準のままだ。

 10日はくしくもウィニー開発者が逮捕された当日。開発者の逮捕により危機感を覚えたウィニー利用者が一斉にソフトの利用を自粛したため通信量が激減したと見られる。通信量は毎秒平均32ギガ(ギガは10億)ビットから同23ギガビットと、9ギガビットの通信が突然消えた。

 ネット業界に衝撃が走ったウィニー開発者の逮捕。その余震は今も続いている。

 擁護派や批判派に分かれ活発な議論がネット上で交わされてきた。その議論の中から、開発者の支援団体(代表・新井俊一メロートーン社長)が13日に発足した。19日にはサイトを開設。事件の経緯や18日に京都簡易裁判所で開かれた拘留理由の開示公判の内容などを掲載している。

 白浜徹朗弁護士を主任弁護士に京都・大阪の弁護士13人で構成される弁護団(団長・桂充弘弁護士)も結成され、積極的に支援を始めた。逮捕の当日の夜からは資金面からの支援の呼びかけが始まり、3日で約170万円が集まった。義援金はその後も増え、20日には総額1000万円を突破、なお増加中だ。

 “勝手連”すら生まれるウィニーだが、ソフト開発の現場ではウィニー開発者を擁護する声は実は少ない。今回の逮捕により、違法性のないソフトにまで利用者の過敏な反応が起こる可能性があるからだ。

 筑波大ベンチャー、ソフトイーサの登大遊社長は電子掲示板などで自社ソフトとウィニーの類似性を指摘された。登社長のソフトを悪用すれば、複数のパソコンと容易にファイルなどを共有できることが疑念を抱かせたようだ。「様々な通信ソフトの存在が危ぶまれるのでは」と登社長は危ぐする。

 研究者の間でも戸惑いが広がっている。産業技術総合研究所で文書共有ソフトを研究する小島一浩研究員は「どこまでが違法か説明がないと、研究がやりにくい。(ファイル共有に対する)世間のイメージも悪くなった」と嘆く。研究環境の悪化は、技術進展の阻害要因となりうるからだ。

 一方、ウィニーの技術そのものには高い評価を与える意見も多い。慶応大の村井純教授は結果的に著作権侵害行為に使われたことやソフトを開発した動機については問題ありと指摘した上で「ソフトとしてはウィニーは10年に1度の傑作」と言い切る。

 ウィニーは大容量の情報の分散保存と、プライバシー保護の面で今後重要になる匿名性の実現という両立が難しい2つの問題を解決した。その利便性が200万人とも言われる利用を生んだ。技術的先進性と社会的適合性のはざまで、ウィニーは揺れている。

ファイル交換・共有ソフト関連の主な事件

【2001年】………………………………………………………
11月 京都府警など「WinMX」を使って画像編集ソフトを交換した疑いで専門学校生と大学生を逮捕。ファイル交換ソフトを巡る著作権法違反で国内初の摘発

【2003年】………………………………………………………
4月 京都府警など「WinMX」を使い入手したソフトを販売した疑いで無職男性を逮捕
9月 全米レコード協会、ファイル交換ソフトを使い音楽ソフトを交換していたとみられる個人261人を著作権侵害で提訴
11月 京都府警など「Winny(ウィニー)」を使い違法にゲームを複製した疑いで19歳の少年を逮捕。同時に映画を複製した疑いで41歳男性を逮捕

【2004年】………………………………………………………
4月 日本レコード協会、ファイル交換ソフトを使って音楽を無料交換しているとみられる個人約60万人への警告文送付を発表
5月 京都府警、「ウィニー」を開発した東大大学院助手を著作権法違反ほう助容疑で逮捕


■ウィニー事件の波紋(2)――業界の動き、利便とズレ

NHKや民放なども地上デジタル放送の不正コピー防止策をとっている
 「よくやってくれたと思う」。作詞・作曲者などから業務委託を受け、音楽の使用料を徴収する日本音楽著作権協会(JASRAC)の加藤衛常務理事は19日の定例記者会見で、京都府警が「ウィニー」の開発者を逮捕したことについて、こう感想を述べた。

 加藤常務理事は「ソフトそのものに文句を言っているわけではない」としたうえで、「今回はソフトを作るだけでなく、ユーザーの違法な利用を助長するような行為があったとされており、そうであれば(逮捕を)支持したい」と説明した。

 京都府警は逮捕後の記者会見で、ウィニー開発者は著作権の侵害行為に使われることを認識した上でソフトを開発、配布したとしている。これに対し、開発者は18日に京都簡易裁判所で開かれた拘留理由の開示公判で、「著作権侵害をさせるための道具として開発したわけではない」と犯意を否定した。

 ウィニーは作者の意図にかかわらず、著作物の不正コピーの温床にもなった。実際、ウィニー上では多数のテレビ番組が不正コピーされ、共有されている。今回の逮捕を支持する意見の大半は著作権保護の立場からのものだ。

 「違法コピーは犯罪であると訴えたい」。BS(放送衛星)放送会社WOWOWの広瀬敏雄社長は力を込める。4月、同社が著作権法違反で告訴していた人物が逮捕された。昨夏放映したサザンオールスターズのライブ映像を違法販売していた容疑だった。

 WOWOWは月額料金を徴収して映画や音楽番組を流しているだけに、CM付きで無料放送する地上波テレビ局以上に著作権侵害に神経をとがらせる。ネット上で違法コピーを見付け次第、削除を要請しているが、結局は「モグラたたき状態」(広瀬社長)という。

 コンテンツ(情報の内容)業界が進めているのがソフトの著作権保護機能の強化。WOWOWが昨年からBSデジタル放送に不正コピー防御策を導入したほか、民放各局とNHKも4月から地上デジタル、BSデジタル放送で同様の防御策を採用している。

 1回だけ映像複製が可能な制御信号を加えて放送することで、複製を繰り返して違法コピーを増やすのを阻止する仕組み。音楽業界でも同様にパソコンにCDから音楽を取り込むのに制限を設けた「コピーコントロールCD(CCCD)」の発売を増やすなど、対抗策に躍起になっている。

 こうしたコンテンツ保護強化の動きには異論もある。国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)の東浩紀主任研究員は「消費者を不便にしたり、供給者側が使い方を規定するやり方は普及しない」と批判的。

 東氏は今回の問題の根底にあるのは消費者のコンテンツ産業に対する不信感だと見る。「日本のコンテンツ権利者はネットでの配信に二の足を踏み、世界的に見ても高いといわれるDVD(デジタル多用途ディスク)を販売し、CCCDのような利用制限を設けている」からだ。

 ウィニー利用では、権利保持者が直接商業利用できないようなコンテンツも目立った。ビデオやDVDなどで発売される見込みのないテレビ番組や廃盤になったCDの楽曲などだ。

 「ウィニーはこうしたコンテンツを求める人々にとっては、手に入れる唯一の手段だった」と産業技術総合研究所グリッド研究センターの高木浩光セキュアプログラミングチーム長は指摘する。消費者はウィニーを通じて通常では得難いコンテンツを入手できた。利便性を改善する流通の仕組みが育たなければ、第2、第3のウィニーが登場するかもしれない。


■ウィニー事件の波紋(3)慶応大教授の村井純氏と産業技術総合研究所の高木浩光氏に聞く

 ウィニー事件を巡っては、様々な視点から議論が続いている。インターネットや著作権法に詳しい有識者は今回の事件をどう見ているのか。ソフトとしてのウィニーの評価で意見が異なる慶応大の村井教授と、産業技術総合研究所グリッド研究センターの高木浩光セキュアプログラミングチーム長にそれぞれ聞いた。

慶応大教授村井純氏――情報配信の方法評価

 −−ウィニーソフトを高く評価しているが。

 「技術的に重要な課題を解決している優れたソフトだ。ひとつはパソコン同士を直接接続するピア・ツー・ピア(PtoP)で情報を共有するという課題の解決。大容量の情報の断片を多数の場所に保存し、必要な時に集めて利用する自律分散型ストレージ(外部記憶装置)の問題を実現している。匿名性も高いレベルにある」

 −−開発者が逮捕され、PtoPの将来を疑問視する向きもある。

 「特に心配していない。ファイル交換以外にもPtoPを使ったサービスは多い。それに開発者の逮捕で萎縮するような研究者に、本当に役に立つ研究ができるとは思わない」

 「現在の日本のネット技術は最先端に近づきつつあり、米国を手本にできないこともしばしばある。技術は常に微妙な側面も持つので、さじ加減を間違えると大変な問題になる。ただ、ネットが普及したことで圧迫された事業は少なくないが、そういう事業を保護するために進化を止めるのが正しいのだろうか」

 −−ウィニーは著作権侵害行為に使われた点が問題視されている。

 「その点は確かに問題だが、ソフトの普及戦略を誤ったとみるべきだ。例えば日本放送協会が相撲のテレビ中継を始める前、日本相撲協会は反対していた。テレビを通じ無料で広く内容を伝えられたら、誰も興行にカネを払わなくなると懸念したからだ。だが結果は逆で、むしろ興行に来る客は増えた」

 「ウィニーで著作権を侵害されたと主張する企業も仮に売り上げが伸びていたら、ここまでファイル共有ソフトを敵視しただろうか。歴史が判断することだが、新しい情報配信のやり方を100万人規模で実現したウィニーの評価には影響しない。ソフトとしては10年に1度の傑作で、インターネットの発展にプラスになると確信している。」

産業技術総合研究所高木浩光氏――技術者の「倫理観」欠如  

−−ウィニーソフトには高い評価もあるが。

 「技術的には画期的な要素はない。ウィニーのようなソフトを作れることは分かっていたが、結果が見えているから誰もやらなかった。逮捕された開発者はそれをあえてやってしまった」

 「ソフト技術者は取り返しのつかないプログラムは作らないという倫理観を持っている。ソフト技術者ならたった3行のプログラムでパソコンを異常停止させるやり方を知っているが、そのプログラムを大量に配布すればコンピューターウイルスになってしまう。その点を無視して、確信犯的にやったのがウィニーだ」

 −−なぜ200万人もの人が利用したのか。

 「ウィニーの神髄は無料という点にはなく、あいまいなキーワードを登録すると、関連するファイルが勝手にダウンロードされてくる点にある。音楽配信に代表される現行のインターネット上のサービスには『知っているものしか探せず、探しているものしか手に入らない』という不便さがある。ウィニーはこれまでとは全く違う、新しいネット上のサービスを実現した」

 「サービス自体は無料である必然性はない。ウィニーには通常では手に入らないもの、例えばDVD化されていない古いアニメや廃盤になった音楽CDなどが大量にあり、それらを求めて参加した人も多い。200万人が使った背景を構造問題としてとらえるべきだ」

 −−PtoP技術の未来に悪影響を及ぼしたとの評価についてはどう思うか。

 「PtoPにパソコン同士を相互接続したサービス、という以上の意味はない。IP(インタープロトコル)電話サービスもPtoPの一例だ。ファイル交換ソフトは将来的に利用そのものが違法になる可能性すらあるが、(今回の事件は)PtoP技術そのものには影響しないのではないか」


■ウィニー事件の波紋(4)グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)の東浩紀主任研究員と石原修弁護士に聞く

GLOCOM主任研究員東浩紀氏――コンテンツ流通に問題 

 −−ウィニー開発者の逮捕をどうとらえたか。

 「ウィニー問題には2つの階層がある。1つはモノ中心の所有財産権を中核とした既存の著作権法と、コピー自由の文化で育ったインターネットの対立だ」

 「それとは別に、開発者が自身の思想をソフトという著作物で表現した結果逮捕されたという、表現の自由に対する公権力の介入という現象もある。ウィニー開発者は著作権に関する過激な意見を根拠に著作権法違反ほう助の疑いで逮捕された。こちらの方が根が深い問題だ」

 −−ネット上でもウィニー開発者に問題ありとする意見が少なくない。

 「ネットが急速に保守化している。普及して種々雑多な人が使うようになったのが原因だが、いまの日本社会の異端者に対する狭量さも背景にある。ネット上では『取りあえず今の枠組みに従ってから議論すべきだ』という意見が数多く見られる。ボイコットすることで制度の問題を指摘する態度は今の日本では取りづらくなっている」

 −−ウィニーが提起した問題は何か。

 「デジタルや著作権の問題というよりも、欧米よりも高くて不便というコンテンツ(情報の内容)流通の問題だ。1曲100円なら代金を払うという消費者は多いが、そういうサービスは提供されていない。コンテンツ業界はこぞってコピー防止技術の導入に流れているが、消費者に不便なシステムを押しつけているように見える」

 「コンテンツ業界は200万人というウィニー参加者の数を重く見るべきだ。参加者の大多数は著作権法を侵害したいと思っているのではない。彼らは今のコンテンツ流通の仕組みに愛想を尽かしている。これらの利用者を合法の世界に引き戻すサービスを安価で提供しない限り、いたちごっこが続くだけだ」

弁護士石原修氏――著作権守る意識啓発を

 −−従来の著作権侵害事件とどう違うのか。

 「今回の逮捕は容疑が著作権法違反ほう助であり、過去に例がない。ほう助が成立するには、犯罪を行ったもの(正犯)に対し、精神的あるいは物理的な方法により犯罪を容易にする行為を行ったかがポイントだ。これまでソフトウェアを巡る著作権侵害の刑事摘発はいわゆる海賊版商法の摘発が主だった。これに対しファイル交換・共有ソフトを用いた違法コピーは発見が難しい」

 −−ウィニー開発はそれ自体が違法なのか。

 「一般的にはソフトの開発自体は純粋に技術革新を追求した可能性もあり、それだけで違法行為のほう助に問われることはない。開発者が違法行為をする利用者がいるかもしれないとう程度の認識を持つだけでほう助になるとしたら、ソフトを開発すること自体ができなくなる」

 −−立件の条件は。

 「開発者が著作権侵害を促す明らかな意図を持っていたという確実な証拠が必要となるだろう。証拠としては開発段階の資料やメールなどがあり得るが、開発者自身がウィニーを利用して自ら違法コピーをしていたならば著作権侵害の正犯となる」

 −−ファイル交換・共有ソフトの利用は減るのか。

 「ファイル交換ソフトを利用した著作権侵害は以前から違法だったのであり、一時的に減少したとしても、根本的な解決にはならない。本来はどのようなソフトが開発されようとも、自分は著作権を侵害しないという、当たり前の意識を啓発することが基本だ」

 「企業、公共団体、教育機関などは組織内の違法コピーを防止するためのコンプライアンスを徹底すべきだ。また、組織内や家庭内の違法行為は見つかるわけがないという状況から、発見される可能性があるという状況に変えることもポイント。そのためには内部告発者の保護を徹底することも重要となる」=おわりこの連載は佐藤慎、渋谷高弘、鈴木晃、つくば支局川合智之が担当した。

[日経産業新聞]