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MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Business!?-

■□■第4号■□■

 

≪CONSIDERATION≫

二十一世紀は、持てるより持たざることがクールな時代〜続き

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◎公正かつ公平で、弱者と競争の敗者救済の仕組みを備えた社会の創造こそが現状の急務

現状の私達の社会は、建て前のうえでは公正かつ公平であるはずなのですが、もちろん私を含めて多くの人々がそれを信じてはいないように、現実には極めて不公正かつ不公平な、強者あるいは競争の勝者にとって都合の良い論理と仕組みに満ち満ちています。自由民主主義の体裁はとってはいても、象徴的な独裁者が存在していないだけで、極論かとは思いますが本質的には君主体制下とほとんど変わりはありません。

時代が変遷して社会制度が変わっても、その中で生きる私達個人の意識は、いつの時代においてもほとんど変わってはいないからです。私達個人がそれぞれ個々に自らの事しか考えようとしないでいるうちは、強者と弱者、成功者と失敗者は、その時々で入れ替わりはしたとしても常に存在し、またその入れ替わり自体は大局的かつ客観的視点においては何らの変化でもありませんし、またその格差は大きくなりはしても決して小さくはなりません。また、私達個人が自らの存在と言動に責任を持とうとしないで組織や体制に隷属し、主体性や自由を放棄する代償としてのそれらの擁護に甘んじているところには、成熟した民主主義も自由競争資本主義社会も成立はしません。

これまでの私達の社会においては、競争は善とされ時には正義とすらされてきました。その結果として、競争の敗者やその競争の場に立つことすらもままならない社会的弱者は、その存在価値はもちろんのこと、人格すらも不当に卑下されてしまってきたことは否定できません。本来勝者も敗者も、強者も弱者も、人間としての価値に何らの上下はないはずなのですが、残念ながらこれまでの私達の社会の歴史において、この当たり前の事実が社会的規範となった例は少なくとも私の知る限りにおいてはありません。

能力や才能あるいは財力が絶対的な価値を持つ社会は、根本的に欠陥のある社会であると私は考えています。裕福な家庭に生まれるかどうか、能力や才能に恵まれているかどうか、容姿あるいは五体満足な健康な身体に恵まれているかどうかといったような基準の事柄に、運あるいは不運以外にどんな要素が存在するでしょうか。あるいは生誕後の家庭環境や自らを取り巻く社会の環境の変化といった事柄に関して、その人にどんな責任があるのでしょうか。その人がどんな立場を選択し、どれだけのリスクを負って、どれだけの努力をしたのかということからの実際の成果に応じての正当な評価が受けられること、それが公正かつ公平な社会の本来あるべき形なのではないでしょうか。

私は競争自体を否定しているわけではありません。競争をしたい者同士の間でのそれや、自ら自身を対象とした向上的なそれは、自らをそして競争する者同士を高め合う、また技術を向上させ経済をも成長させていく素晴らしい要素の一つだと思います。しかし、競争を望まない者や望んだとしても何らかの事由により競争の場に立てない者の存在価値や人格も尊重されるような風潮や仕組みに乏しい社会は、やはり様々な問題を増殖させていく未熟で不完全な社会と認識せざるを得ません。

かつての敗戦から高度経済成長の過程にあった頃の日本や、現在においても国民のほとんどが明日をも知れない日々の生きる糧を得るためだけに終始しているような国には必ずしもあてはまらないにせよ、成長の段階から成熟の段階に移行しつつある現状のすでに充分に豊かな日本の経済社会においては、もはや競争の論理だけでは不十分であって、そこに協調の論理を付加していくことは時代の要請であり必然であると言っても過言ではありません。

そしてその協調の論理は、相互理解と相互尊重の基盤のうえにのみ成立しますし、さらに加えて競争の論理が残存している限りは、社会的弱者と競争の敗者の救済のための社会的仕組みが不可欠となります。どんな境遇にいるどんな人であっても、その人の存在や人格という尊厳が尊重され、様々な機会が公正かつ公平に与えられる、さらに失敗をしてしまった人に対しての負うべき責任の基準を明確にしたうえで再起の機会を与えることのできる社会制度の整備こそが、まずは私達個人とひいては行政に課せられたこれからの時代の責任であると思います。

そうした社会環境があれば、様々に価値観の異なる個人が共存共栄できますし、その時々で様々な人生を選択することも可能になり、また途中での方針や方法論の転換も可能となります。能力や才能に恵まれて自らの可能性に挑戦したい人にも、日々決められた事柄を淡々と繰り返す平穏な日々に幸せを感じる人にも、カネやモノに執着する人にもしない人にも、日々の暮らしにも支障をきたすような病や障害を持つような人にも、どんな人格のどんな境遇の人に対しても公正かつ公平であるところの社会を創っていくことこそが、21世紀における真に成熟した民主主義と自由競争資本主義社会創りへの道筋であると私は確信しています。

 

◎すべては私達個人一人一人の意識の変革から始まり、そして持てるより持たざることがクールな二十一世紀へ

私は前述までの章で何か特別に新しいことを論じてきた訳ではなく、ごく当たり前の常識的な論理を一つ一つ確認してきたに過ぎません。しかし残念ながら現状までの私達の社会においては、それら常識であるはずの論理は、単に建て前論としてなおざりにされてしまってきていることは否定できません。であるからこそこれまでの様々な経験を教訓として、これからの二十一世紀の社会においては、まずは私達個人の一人一人が意識を変革していくことにより、そしてひいてはその総合として私達の社会全体が、本来あるべきすべての人々に優しい社会へと徐々に成熟していくことと思います。

これからの二十一世紀社会においては、持てるより持たざることがクールであるというささやかながらも根元的かつ大きな発想の転換により、一旦これまでの常識が私達の意識の上で根底から崩壊し、そして新たに生まれ変わっていくことは、必然ともいうべきごく自然な成りゆきであろうことを、私は信じて疑いません。私達個人一人一人の意識変革が、私達個人一人一人とそれぞれの家族や親類あるいは友人との、そして組織、国家、国際社会との関係の再構築へと、そしてその結果として現状の政治と経済構造の本質的かつ根本的な大きな変革につながっていくことでしょう。

まずは全体論からというこれまでの意図により、これまでの号においてはとりとめがなく捉えどころのない抽象論に終始してしまった感が否めませんが、これからの号においては創刊号でも触れたように、相互理解と相互尊重、経済構造からの抜本的改革、同業者間の共同投資、異業種間ネットワーク、組織と個人の関係の見直し、ブレイクイーブンの経営、系列からの脱却、社会性と公共性、社内起業、IT関連設備投資と電子商取り引き、 在宅勤務、退職者の再雇用、個人事業、市場解放、外国人雇用、途上国への進出、税制改革と共通化、競争の敗者の救済と弱者の支援、土地と住宅対策、高齢者対策、教育改革、軍縮、環境対策・・・・・、などなど様々な毎号のテーマに沿っての具体的な論述を心掛けていきながら、本当にクールなビジネスとは何かを、そしてその具現化の方法論を追求していきたいと考えています。

 

 →第5号 「ブレイクイーブンの経営」に続く

 

 

 

≪EPISODE≫

 ▼Failure         
  >file#1-1 〜ビジネスパートナー選びこそ成功への第一歩〜

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今からもう8年ほども以前のことになります。私は自ら興した事業において、その事業におけるそれまでの蓄積をすべて吹き飛ばしてさらに膨大な負債を残してしまうほどの致命的ともいうべき大きな失敗を犯してしまいました。

当時私は、主として海外におけるマーケティングならびにトレーディングを生業とする会社を友人達と共同で経営しており、一つ一つ実績を積み上げながらまずはブレイクイーブンを目指して設立当初からの投資金額を回収しつつ、業績はそれまでとても順調に推移していました。

本来この事業は、海外進出をはかる日本企業に対して現地の市場調査や業務提携の、さらに現地実務の一部もしくは全体の代行業務を計画していました。しかし依然として現在においても同様ですが、会社を設立した10年前はなおさらに、情報などのソフトの提供だけでは実際の契約につなげて事業を成立させていくことは非常に難しい時代でした。私達の会社は、クライアント自身の海外における事業展開を多角的にサポートしていく立場をとりたいと考えていたにもかかわらず、現実には商社的な私達の会社のリスクによるクライアントの案件を請け負う契約形態からなかなか脱却できず、必然的にトレーディング部門を新設せざるをえなくなり、業績もほとんどがこのトレーディング部門からあがっていくようになっていきました。

友人達と私の個人による共同投資という公的機関や金融機関からの融資もない形で設立した極小規模の会社でしたから、資金力が非常に乏しく、受注できる案件も事前の立て替えが必要となる場合がほとんどであったために数十万円からせいぜい数百万円の規模の案件に限られてしまい、設立当初は常に資金繰りには窮々としていました。それでも、信用力の高い大企業からの優良案件を一つ一つクリアーしていき、それ相応な会社の実績ができてくると、個々の案件ベースでは個人投資家や機関投資家からの投融資を受けられるようになり、それに応じて受注できる案件の規模やサイクルも高まっていきました。

様々な業界の様々な業種のクライアントからの問い合わせや調査依頼に基づいての様々なプレゼンテーションやマーケティングに明け暮れるも、なかなか成約に結びついていかないマーケティング部門に対して、それまでの商習慣に沿った請負の形態を踏襲したトレーディング部門は、当時の多くのクライアントにも受け入れられ易く急速に業績を伸ばしました。なかでもゼネコンや設計事務所ならびに施行会社などをクライアントにしたインテリア・エクステリア関連商材のカスタムメイド事業は、競合会社も少なかったうえに、それまで国内で流通していたレディーメイド商材に飽きていた建築士やデザイナーの支持を受け、ホテルやレストランなどの商業施設向けの家具や装飾品などを、彼等のデザイン図面により海外にて制作しては輸入をする事業が当時の私達の会社の主要業務となっていきました。

かといっても私達の会社は、輸入家具販売会社でもまた商社でもなく本来はマーケティング会社を指向していましたから、その時々のクライアントの案件に対して最適かつ個別のマーケティングによる海外の確かな技術力を備えたリーズナブルな工場を探すところからのプロジェクトベースで動きますから、クライアントの要望を忠実に具現化することを可能としていました。また、制作期間中は必ず現地にスタッフが滞在してデリバリータームならびにクオリティーのコントロールを行い、クライアントの担当者をシッピングの際には現地に呼んで一緒に最終インスペクションを行うという原則を守っていましたし、パッキングチェック、実際のシッピングと通関、現場へのオンサイトデリバリーと備え付け、また納品後のアフターケアーまでを一環して行いましたから、クライアントからの高い信頼も得て、短期間で業界に名が通るようになっていきました。

そんな独自の事業展開を二年程続けた頃、それまで何度か別の案件により主要クライアントの一つになっていた某スーパーゼネコンから、ドイツに新店舗を開設する某大手国内百貨店の内装全般というそれまでの私達の受注実績からは桁が二つ異なる規模の案件依頼がありました。この受注に関しては、当時の経営陣の間で何度も討議を重ねた結果、最終的に社運をかけ他の案件の受注を控えてスタッフ全員で取り組むという結論に至りました。

この案件は、トルコの家具メーカー三社を最終的な完成品を組み上げる一次下請けとして、二次以下に各種パーツ制作、照明器具や生地、ロックやヒンジ類などを、日本とトルコはもちろんのこと、イギリス、ドイツ、スペイン、イタリアなど各国のメーカーから買い付けたり、カスタムメードさせたものをすべてトルコに集めて組み上げた完成品を、ドイツの現場までトラックで運んで備え付けるというもので、商品の陳列用の造り付けの棚から什器や各種装飾品に至るまで点数にして約200点、そのほとんどが一点物の特別注文、さらに納期は日本国内でのワントゥーワン図面制作期間も含めて約半年しかないという業界の常識を逸脱したものでした。

それまでもはるかに小さな規模ながらも、他の業界で名が通った専門の会社では受け手がないような低予算や短い納期でも、クオリティーの高い商品を納品し続けてきた実績は積んでいましたし、何よりその当時のスタッフ全員の勢いもあって、その後さらに階段の手すりやエントランスドアーハンドルなどなど、途中で様々な追加受注を重ねながら、トルコの一次下請け家具工場では他社からの応援を含めて通常の3倍の人員を投入、交代制で24時間稼動をさせてまでの、二次以下の総数にして20社を超える下請け業者にも通常の1/3の納期を強要したりと、まさに連日が祭り騒ぎのような日々が続きました。

そうしてようやく納期に合うだけの目処が立ちつつあったところで、予想をだにしなかった大きな事件が勃発しました。一次下請けの一社が納期間際に倒産してしまったのです。私達の会社が支払った前受けと中間金も、二次以下の下請けに回らないうちにこの倒産した会社の資金繰りに消えてしまっていました。

もうここからはまさに地獄の筆舌に尽くし難い日々が始まります。まずは発注している各種パーツの受け取りに必要な二度払い資金を調達するために、まさに私達は手段を選びませんでしたし、無事故で進んだとしても納期にぎりぎりのスケジュールでしたから、この事件による大幅な遅れにより、3回のパーシャルトラックシッピングのうちの後2回分はエアーシッピングに切り替え、それでも間に合わない最終納品分については、一人あたり200kg、エクセスチャージにして2万ドルにも及ぶハンドキャリーまで敢行、またトルコ人の職人達約30名をドイツの現場に送り込んで、トルコで間に合わなかった箇所は現場で制作をさせて据え付け工事を行うといった具合いで、私達の会社のスタッフは全員連日徹夜に近い日々を過ごし、ラストの2週間は座って食事すらできないほどでした。

 

 →第4号 ▼Failure
       >file #1-2
       〜ビジネスパートナー選びこそ成功への第一歩〜 に続く

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