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MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Business!?-

■□■第16号■□■



≪CONSIDERATION≫
21世紀を生き抜く負けないビジネス・その3
〜何も始めないほうがいい。でも一度始めてしまったら、最後までやり通すしかない。
「40年間ほとんど楽しいことはなかった・・・」
/続き


以下のEPISODEが長編にわたってしまいましたので、次号に順延とさせていただきます。


≪EPISODE≫
 ▼Failure
  >file#3-3
   〜出戻りラッシュ・その3


その後、某発展途上国に国内大手ホテルチェーンを誘致しようとするホテルコンサルティング業務に勤しんでいた頃のことです。

観光関連事業がどうしても国を挙げての主要産業となってしまうその発展途上国においては、当時まだ二十歳代後半であったといえども現地責任者の立場にあった私は、自らを錯覚してしまうには充分なだけの影響力のある存在でした。

国内ホテルチェーンの進出にあたってのホテル建設はもちろんのこと、関連してのゴルフ場やハーバーといった総合リゾート建設にまでも膨らんでいた当時の計画を背景として、日本のクライアントから視察に訪れるのは企業トップ達でしたし、候補用地をプレゼンする現地のゼネコンの担当も当然ながら社長以下トップ達、各種セレモニーや会食時にはその国の大統領をはじめとする政財界のトップ達が連なる国家事業としての体でしたし、必然的にそれらのすべての流れを進行管理する私の現地での扱いもそれ相応なものでした。

当時のその関係者の全員と言っても過言ではありませんが、一般大衆や社会に対しての彼らの意識の持ち様たるや、まるで自らが神あるいは王ででもあるかのような、したがって彼らの人格や言動たるや尋常ではありませんでした。

そんな当時の私の日常においては、まさにどこから湧いて出るのかと辟易してしまうほどに大勢の様々な利権に群がる人々からのアプローチが殺到していました。

その計画に何らかの形で参画して利益に与かろうとする政財界はもちろんのこと、商材を売り込もうとするような様々な企業のトップ達、あるいは影のフィクサーやマフィアといった裏社会ながらも回避することのできない面々まで、まさに人と会うのが仕事、いったい何十杯のお茶を飲んで何食するのか、睡眠も2〜3時間がやっとというような苛酷な日々が続き、結局は身体を壊してしまったのでした。

時の権力者達の都合で法律さえもすぐに変わってしまうような、軍と宗教と民主主義を背景にした各勢力が常にせめぎあう不安定な政情下、しかしながら経済至上路線はいずれの勢力にも一致したところでしたから、私達をはじめ外資の流入が解禁されたばかりの頃でした。

実際のところ私が進出前のリサーチの段階で初めて渡航した頃には、まだその国は謂わゆる鎖国に近いような状況で、観光入国はできても空港の免税店以外では食料品や酒類、煙草すらも外国産のものは一切入手することができませんでした。

国民も相応な事情がなければ出国のビザもなかなかおりませんでしたし、外国からの郵便物も厳しい検閲を受け、外国製品の持ち込みなど事実上不可能だったのです。

外資企業といえば、そもそも国交上必要な国賓が宿泊するためと言っても過言ではないヒルトンとシェラトンホテル以外には皆無で、商社はおろか銀行すらもまだありませんでしたし、私達はほぼ民間外資第一号として大手商社や銀行とほぼ同時に参入したような状況でした。

それでもまだ外資100%の現地法人の設立はできませんでしたから、必然的に現地のビジネスパートナーが不可欠でした。そこで当時まだ国家予算の5割以上が軍事予算に回る状況下、軍部の顔役的な存在であったあるビジネスパートナーが選ばれたのでした。

その後また現地法人の設立準備の過程で法律が改正されて外資100%の現地法人の設立も可能になりましたので、私は当時在籍していた会社の社長にその人物とのパートナーシップの解消を強く進言したのですが、その人物に既に深く傾倒してしまっていた社長に却下されてしまいました。

時折ふざけて常時携行している拳銃を私に突き付けるような人物でしたし、もちろんそればかりではありませんが、私はその人物にまったく信頼を寄せることができなかったのです。

やくざでもマフィアでもないのですし、銃を常時手放さないような人物と仕事をする気にはどうしてもなれませんでしたし、何よりその人物には事業家としての資質など皆無でしたから、私も社長を説き伏せる努力をあきらめずに続けていたのです。

そのうちにそうした私の動きがその人物に察知されることとなり、私に身の危険が及ぶようになりました。

日中仕事の時間帯でも何度か突然加速してくる車に危うく跳ねられそうになったり、帰宅途中にも明らかに待ち伏せをしていたと思われる暴漢に襲われたりと、それも明らかに彼等は一般人気質(かたぎ)の風体(ふうてい)ではありませんでしたし、とても偶然と片付けてしまえる状況ではありませんでした。

私はいざという時のとっさの反射神経には自信がありましたし、護身的武術の心得もありましたから、何とか事無きをえましたが、それからはもう悠長に構えていられるほどの覚悟は持ち合わせていませんでした。日本の社長をはじめとする重役達との連日にわたるバトルを展開しつつも、会社が私が陥っている事態の認識ができず費用を認めないので、やむおえず私設ボディーガードまで雇わざるをえなくなるほどの状況になってしまいました。

なるべく在社時間をなくすように予定を調整しつつ、その人物とのビジネスパートナーシップの解消を最優先課題としてあらゆる努力を重ねましたが、結局すべて徒労に終ってしまいました。すでにその国に国内大手老舗百貨店を誘致せんとする大型案件が進行してしまっており、もはや事実上手遅れの状況だったのです。私の在籍していたその会社は何よりも利益最優先、そのためには手段を選ばない企業であったことを、またそのことがその現地ビジネスパートナー選択にももともと大きく影響をしていたという事実を、その時に私はまざまざと思い知らされてしまったのでした。

そんな経緯で私は、不本意ながらも現地から依願退職願を会社に提出したのですが、それを受理しようとしない会社とのバトルは次の局面に移っていったのでした。

 

第17号▼Failure>file#3-4
   〜出戻りラッシュ・その4
                              に続く

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