DAILY SHORT COLUMNS - Daily Business -

 
2005.02.28 出戻りラッシュVol.53

私達の社会構造つまり自由民主主義体制とて、自由競争という美名の生存競争により日々ポジションが入れ替わるだけのことであって、誰がどこのポジションにいようがポジショニングを上下させようが、その本質的な構造自体は何らの変化するものではありません。例えば貴方が社会的成功やそれに伴う富や名声を手中にしようが、あるいはそれが貴方ではなく私であったとしても、貴方や私と直接関わることのない第三者にとっては何らの影響もないということです。

競争社会においては、敗者救済の仕組みが存在しない限りは、表層的な平和はおろか真の幸福が成立するものではありません。第三者の否定や犠牲の上に成立する平和や幸福などそもそも存在しないのですし、巡り巡っていびつさの皺寄せはどんな競争の勝者にもやがて回ってくることになります。

このところマスコミを賑わせているあの鉄道と国土開発を中心としたコングロマリットを形成し栄華を極めた元総帥の衰退と組織の解体をはじめ、昨今の様々なかつての権力者達の没落の経緯は、いびつさを解消できない組織や体制の非永続性の証明に他なりません。

競争の敗者や社会の弱者救済の仕組みを有していないのは、私達日本の国家体制においても同様ですし、国際的な視野に立てば、途上国の貧困や様々な扮装の上に存続しうる私達の平和や幸福など存在しないことに、一人でも多くの人達に一刻も早く気付いてほしいと日々願うばかりです。(続く)


2005.02.26

出戻りラッシュVol.52

つまるところ、それは自立とは対極に位置する他者依存の発想なのです。そしてその第三者や組織やひいては体制に迎合し、自我を忘殺する代償としての安定や保証を追い求めようとする人としての脆弱さこそが、古今東西で永々と繰り返されてきたこれまでの人類と歴史であると言っても過言ではありません。依存従属しようとする対象がそれぞれの時代や地域によって異なっていたに過ぎず、封建社会においても軍事体制下においてもまた私達の自由民主主義体制下においても、一般大衆の本質的在り様はまったく変わるところはないのです。

自らの価値判断基準で言動し、その言動に対してのすべての責任を自ら負おうとすることなくしては、自らの権利を主張していくことはできませんし、それ以前にその主張していこうとする自我を確立していくことすらもままなりません。

人が二人寄れば一般に、そこにはリスクする者としない者、主張する者と許容する者、つまりは従える者と従う者という主従関係が生まれます。そしてその同様の主従関係に大勢の人々が自然に組み込まれ、さらに従える者をまた従えていく者が次々と生まれて組織や体制といった階層社会が構築されていくのです。そして最終的には、少数の従える者に大勢の従う者が依存従属する、換言すれば自我を放棄した自らの幸福すら描けない大勢の一般大衆の上に、少数のひいては王制下や軍事政権下においてはたった一人に権力が集中するといういびつ極まりない社会構造が出来上がっていくのです。(続く)


2005.02.25

■「大和のお粗末、リーマンの貪欲」、ライブドアのニッポン放送株取得

ライブドアが2月8日にニッポン放送株の35%を取得を発表した後、沈黙を守ってきた大株主がいる。ニッポン放送株の約19%を持つ村上世彰M&Aコンサルティング代表だ。その村上氏が日経ビジネスの取材に応じた。

ライブドアに保有株を売却したかという本誌の問いに、村上氏は「ファイリング(大量保有についての変更報告書)を見れば分かる。(ファイリングをしなければならない大量の株式売却は)ない」と否定した。村上氏によれば、堀江貴文社長は以前から「売る気はありますか」と打診していたという。だが村上氏は「僕はファンドマネジャー。常に高い値段を提示してもらえれば、検討します」と答えるにとどめ、売却に応じなかったと主張する。

「TOB票読みしない」と大和

では、これまで明らかにされることがなかったライブドアの購入先はどこか。ニッポン放送への大口投資家のうち固定株主を除くと、残りは国内外の信託銀行管理分(実質株主は不明)と米系投資ファンド2社が残る。開示されている情報を見る限り、それらが持つ株式を購入したとしか考えにくい。

そもそもニッポン放送を巡っては、歪な親子関係を解消するためにフジテレビジョンが1月からTOB(公開株式買い付け)を始めていた。そこに割って入ったのがライブドア。なぜ大口投資家はフジテレビに売らず、ライブドアに売ったのか。そこから浮かんだのは、フジテレビとライブドアのそれぞれについた証券会社の明暗だった。

フジテレビによるTOBのアドバイザーとなったのは、大和証券SMBC。統合話が浮上している大和証券グループ本社と三井住友フィナンシャルグループが、1999年に出資比率6対4で設立した法人向け証券会社だ。

フジテレビが提示した買い付け価格は5950円だった。ところが、ライブドアは約6100円と、フジテレビの買い付け価格を150円程度上回る価格で一気に株式を集めた。フジテレビによるTOBを円滑に進められなかったこと。そしてライブドアの横やりを許したこと。大和は2つの致命的なミスを犯した。

大和の幹部は「TOB価格は適正。株主の票読みなど事前にしない。次の手はいろいろと考えている」と強気な姿勢を崩さない。しかし、大和が入念な準備をしてTOBを成功させていれば、次の手を考える必要もなかった。

大和はニッポン放送株の8%を持つ大株主でもある。ニッポン放送創業家の鹿内宏明氏らが保有していた株式を購入した分で、いずれはそれをフジテレビに売却すると見られる。フジテレビ経営陣にとっては目の上のこぶとも言える存在だった鹿内家から株を取得したことは、ニッポン放送へのTOBにとってハードルを越えたことを意味する。大和とフジテレビはここで安心してしまったのではないか。

倒産しない限り利益は保証

粗末という批判を免れない大和と対照的なのが、ライブドアによる電光石火のニッポン放送株取得を助けた米投資銀行のリーマン・ブラザーズだ。

リーマンはライブドアのCB(転換社債型新株予約権付社債)の引き受けにより、800億円を同社に投資した。売上高100億円のライブドアにその8倍もの資金を投じたことで、リーマンは気前のいい投資家に映る。しかし、その取引構図を見ると、利益への執着ぶりがよく分かる。堀江社長ばかりが目立つが、資金提供などを仕組んだリーマンこそが陰の主役だ。

リーマンによるCBの引き受けには複数の条件がある。

まずリーマンはCBをライブドアの株価より常に10%低い値段で、普通株に換える権利を持つ。仮に株価が380円だったらリーマンはCBを342円で株に換えられ、そこで売れば38円の利益を得られる。

しかも転換価格は週に1回、修正される。リーマンは株価の状況に応じて転換し、タイミングよく売買できる。

さらにリーマンとライブドアの堀江社長にはCB発行以外の契約もある。それは堀江社長が持つライブドア株(2憶2000万株保有)をリーマンに貸し出す、というものだ。貸し株数は「大量ではない」(リーマン関係者)というものの、リーマンはこの株券を市場で売ることができる。仮に380円で売りをかけて、株価が280円になって買い戻せば、100円の利益が出る。このように、リーマンはライブドアへの投資に関して、儲けが出せる仕掛けをいくつも仕組んでいる。ライブドアが倒産するような事態が起きない限り、リーマンは利益を得られると言える。

加えてリーマンの功績は、ニッポン放送株を持つ海外投資家を説得し、ライブドアとの取引仲介を手がけたことだろう。リーマンは「(仲介を)やったともやらないとも言えない」としているが、有力な誰かのお膳立てなしで、短時間の大量売買はできない。投資助言や仲介に関われば、リーマンはライブドアから手数料も得られる。

ライブドアの登場を受けて、フジテレビはTOBによる目標取得比率を25%に下げた。フジテレビとニッポン放送がお互い25%ずつ持ち合えば両社間での議決権行使ができなくなる。ライブドアがニッポン放送を通じてフジテレビに影響力を持つのを抑えられる。しかし、ライブドアの堀江社長も「ニッポン放送の増資を考える」と対抗手段を口にする。

今後の注目点は、何と言っても村上氏の動向にある。なぜなら村上氏がフジテレビによるTOBに応じるか、またはライブドアへ売却するかで、勝敗が決まるからだ。今年6月のニッポン放送の株主総会は、3月末時点の株主の持ち株比率を基に議決する。3月末に向けて、フジテレビとライブドアによる村上氏へのラブコールが高まりそうだ。「(儲けを狙う)ファンドマネジャーとしてはありがたい限り。これは面白い」と村上氏は余裕さえ見せる。

ライブドアの正念場

一方で「人生を賭けている」とする堀江社長は、財務状況から見ると正念場だ。2004年4月には1株当たり638円で増資をした。今回のCBの転換価格は450円。リーマンに有利な条件をつけたのは、株価の下落が背景にある。

今回のCB発行も計算上、リーマンが最低転換価格(157円)で普通株に転換したら5億株も増える。現在の発行株数である6億株の約2倍で、株価の下落要因にもなる。

市場でささやかれるのが、リーマンの下落作戦。まず堀江社長から借りた株を売る。売り圧力で株価が下がりきったら、CBを株式に換えて、堀江社長に返す。その差額が儲けになる。こうして「株価は157円まで下がる可能性もある」(証券アナリスト)。そうなればライブドアや同社の個人株主にとり、リーマンは脅威になる。

株価が下落して資金調達が難しくなれば、ライブドアは苦しい。堀江社長が連日、テレビに登場して「高成長のIT企業」のイメージを振りまくのも株価対策にほかならない。堀江社長にレギュラー番組の出演機会まで与えていたフジテレビが、標的にされたのはまさに皮肉としか言いようがない。(酒井 耕一、大豆生田 崇志、篠原 匡)

〔日経ビジネス〕


■KNNエンパワーメントコラム 
異端者ホリエモンをそろそろ受け入れよう

神田敏晶


KNN神田です。

今、一番視聴率の取れる男は、なんといっても、ホリエモンこと、堀江貴文社長だろう。これは日本全国の誰もが認めることだ。

昨年の今ごろ、誰もこんな事態になっているとは思わなかった。KNN Nightのゲストに、飯野賢ニ氏と一緒に出演したり、企業のバイアウトセミナーなどを共催していた頃、ボク自身も(たぶん彼自身も)彼にもう少し「華」があれば、彼は、売りやすくなると考えていた。

さわやかに笑うでもなく、ハキハキしゃべるでもなく、どちらかというと、朴訥とした粗野なタイプだった。しかし、今日の彼は、TVのどの番組に出ても、自分のいいたいことをいつでも伝えられるズバ抜けたタイミングによるコミュニケーション能力を発揮している。どの年代にどの属性にターゲットとしているかを把握して、常に話題の変化球を投げかけている。よほど、メディアを研究したか、連日のメディア出演で育てられたかだ。

いったい、いつの時代にTVのバラエティ番組で、「転換社債」や「TOB」、「敵対的買収」が話題になったことがあっただろうか? ITの未来やベンチャー経営を経済番組以外で、誰にもわかるように説明してくれるキャラクターがいただろうか?

さらに、結果として今年のプロ野球を面白くした張本人は、堀江社長であることも誰もが認めることであろう。そして、今度は、TV業界を本当に面白くしてしまいそうだ。

ボクはフジテレビの「とくダネ!」を毎日録画して見るほどの小倉キャスターのファンでもある。彼の個人的なコメントにいつも、ボクの気持ちを代弁していただいている。しかし、今回は残念ながら、小倉キャスターでさえ、ホリエモンに関して言及することができなくなっている。

「きっかけはフジテレビ」「おもしろくなければTVじゃない」といっていたフジテレビは、まずいことにはふたをする普通のテレビ局になってしまっている。不祥事があったNHKのように公共電波を活用して、もっとスタンスをアピールするべきだろう。それもせずにただ、他の情報だけを提供している。がっかりだ。つまらない…。広告主に対して、言い訳が立つのだろうか?

政財界が、こぞってホリエモンを批判しているようだ。電波は公共のものとか、金で何でも買える思うのは大間違いだなどと寝ぼけたことを言っている。

公共の電波を使ってどれだけ有益な政治放送をしているのか? 「人の心も金で買える」というホリエモンのレトリックを実際に本人の口から聞いたのか?

今の政財界、TV業界、プロ野球業界、すべてが、バカなオトナの世界になっている。立ち上がれ! 起業家といいいながら、調子に乗ったガキが、たった一人立ち上がるとつぶしにかかっている。本当に構造改革に挑んでいるのはホリエモンただ一人ではないのだろうかと思ってしまう。

ホリエモンの今回の時間外取引に問題があるとするならば、そんな買い方で買えてしまう制度が問題であり、非難する側こそが問題だろう。ホリエモンも言われのない言い方は、名誉毀損で欧米流で訴訟すればいい。変に、常識的なやり方に迎合すればするほどホリエモンの非常識戦略がゆらいでしまう。

ベンチャーにとって、ビジネスで守るべきものは、ルールであり、マナーではない。特にベンチャー企業の場合は、体裁よりも、スピーディーに結果を出さなければ意味がないのだ。鹿内一族のシェアホルダーをなんとか姑息な手段で調整中の間に、スキを見せたフジサンケイグループ側が悪いのではないだろうか?

個人的にはなんとか、ホリエモンにがんばってもらいニッポン放送を手中にいれ、インターネットとラジオのシナジーを活かし、ネットとラジオ放送の未来を手にしてほしい。ニッポン放送が手中になると、もれなくポニーキャニオン(ニッポン放送が56%株所有)というブランドもついてくる。もしかるすると横浜ベイスターズ所有(ニッポン放送30.8%株所有)という展望も開けてくる。
そこまできてから、ホリエモンがどのように改革するのかを見届けたほうがますます面白くなるだろう。

ホリエモンのリビドーは、「欲」の塊でやっているのではなく、本当に面白いインターネットの世界を実現できるチャンスに純粋に賭けているだけだ。「skype」の提携、「ネットシネマ」の配信、DVDレンタル事業の「ぽすれん」「ブログサービス」の「ライブドアブログ」、「未来検索」…。彼の個人資産よりも、これらの面白いネットサービスを展開できる立場がボクは、うらやましい。

かつての西和彦氏のように、いろんなところから儲け話はとめどもなく集まる。リーマンからの資金調達もその話のひとつだ。

これからは、ホリエモンのようなホットなマインドを持ったクールな経営者が増えてきそうだ。その風穴をあちらこちらに空けている。すでに、この話題が終わったあとの話題のネタも仕込んでいることだろう。

今の日本に一番欠けているのは、アグレッシブな姿勢だ。現状に不満を抱きながら、かといって改革を望むべくでもないという中途半端な現状状維持だ。これが一番、タチが悪い。日本のメディアが「日本語」によって守られていると思っている間に世界はますます変化しているのに…。

敵対的買収が非常識というのは、もうすでに頭が北朝鮮化しているとしか思えない。ジョンイル将軍様がすべて正しいという国民とどこがちがうのだろうか?

マスメディアはこぞって、「北朝鮮」と「ホリエモン」と「堤王国」と「少年事件」しか取り上げていない。こんな選択肢の少ない、ニュースの時代ももうたくさんだ。

「ホリエモン」が取り上げられるのも、ニュースがあるからだ。事件は仕込めないが、彼のニュースは、いくつも仕込める。ホリエモンがそろそろ、ジャパネットたかたのように次にTV出演をサポートしてくれる人を用意しておくのも今からだ。バラエティ番組で学ぶべきことはもうないはずだ。

ホリエモンは、これからは「個人の時代」だという。個人がメディアを活用していろんなパフォーマンスを発揮できる時代が来ると力説する。これにはもっと具体的な説明がないと、一般人は理解できないだろう。いや、具体的なサービスが開始されて、TV業界がはじめて、気づくはずだろう。

CMによる広告収入以外でビジネスのできるおもしろい世界初のTV局の開局までには、まだまだ、ホリエモンにがんばってもらわないといけない。

異端児であるホリエモンを「時の人」にするのではなく、異端児を受け入れられる寛容なオトナ社会にニッポンが成長しなければならない。

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〔デジタルクリエーター〕


2005.02.11

■ITを再考する――経営にとって敵か味方か

楠木 建 一橋大学大学院
国際企業戦略研究科助教授


究極のカスタマイズサービスを実現したリッツ・カールトン

 ITは人間にしかできないことをより効率的に片づけるためのツールである。米国に本社のある高級ホテル「リッツ・カールトン」はこのITの「人間的な本質」をきちんとわきまえることによって成功している数少ない企業のひとつである。リッツはホテル業界のなかでも「ラグジュアリー・ホテル」と呼ばれる最高級のセグメントに焦点を絞って競争している。このセグメントではリッツのほかにフォーシーズンズ、パークハイアットといったグローバルブランドのほか、それぞれの地域で伝統を持つ強力なブランド(たとえばニューヨークのセントレジスや東京のホテルオークラなど)が競争している。

 ホテル業界全般では、最も重要な競争のカギは「ロケーション」と「価格」である。しかし、ラグジュアリー・ホテルに限れば、答えは「ロケーション」と「スタイル」になる。リッツのセグメントで競争している企業はいずれもいいロケーションを押さえている。ホテルのデザインや見栄えはどこでも統一的なスタイルを反映している。花がきれいにかざられ、スタッフの物腰は丁寧で、服装は整っている。客室は広く、スタイリッシュで、設備は十分で、清潔である。

 これらはラグジュアリー・ホテルに共通の特徴であり、もはや差別化のポイントとはならない。だとすればリッツ・カールトンにあって、ほかのホテルにない特徴は何か。その答えは、リッツのいう「アンティシペーション」(anticipation)という言葉に集約される。意味は「慮る(おもんぱかる)力」、すなわち言われる前にゲストの望むことに気づき、その人が必要としている個別化されたサービスや問題解決のために最善を尽くす、という姿勢である。

 以前どこかのリッツに泊まったことがある人であれば、どこのリッツに行っても、新聞の種類や枕の固さがはじめから自分の好みになっている。ミニバーには希望通りの飲み物が用意されており、好みの葉巻とブランデーが手配されている。レストランのソムリエははじめから好みのワインをリストの中から選んでくれる。注文した料理が苦手な食材を含んでいるものであれば、何も言わないうちに、その食材は料理からはずされている・・・。要するに一人一人の好みに合わせたサービスの個別化なのだが、ポイントは顧客の明示的な要求を受けた上での個別化ではないということである。「新聞は日経、枕はそばがらで固め、部屋の冷蔵庫にはアップルタイザー、花粉症なのであちこちにティッシュの箱を・・・」といちいち顧客の側から要求を出して、それに対応してホテルが手配するだけであれば、どこの高級ホテルでもやってくれるだろう。そうではなくて、リッツではスタッフがゲストの趣味や嗜好や習慣を自発的に読み取り、そのゲストについての理解を蓄積していく。ゲストがいちいち口に出さなくても要望や好みを「アンティシペイト」してくれるのである。ここに「リッツ・ミスティーク」といわれる顧客満足の正体がある。

 知り合いから聞いた話なのだが、彼は以前ご夫人とともにボストンのリッツ・カールトンに泊まる機会があった。二人はホテルのなかのレストランに食事に行った。彼はお酒を飲まないのだが、彼のご夫人はワインが好きである。飲まない彼はワインのことはよく知らない。それに気づいたソムリエは、ご夫人に的確なアドバイスを与え、その日の料理に合わせたワインを選んでくれた。ご婦人に言わせれば、そのワインは大変に満足できるものだったそうである。ここまでは高級ホテルのレストランによくある話である。

 その数年後、二人は今度は大阪のリッツに出かけることがあり、レストランに入った。すると、微笑みながら近づいていたソムリエはこういったという。「○○さま、以前ボストンで奥様が召しあがり、ご満足いただいたワインがちょうど入荷しております。今日のお料理にも大変に相性がよいかと存じますので、ご用意しましょうか。」知人とご夫人は驚き、ワインをはさんでそのときの思い出話に花が咲いたということである。リッツのサービスの真髄は、こうした顧客の「声」を待たない能動的な個別化である。リッツのいう「心からのぬくもりを感じられるフレンドリーなサービス」とはこのことを意味している。

 最近の言葉で言えば、ようするにCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)である。CRMは経営におけるITの利用では最近もっともホットな領域のひとつである。リッツ・カールトンでもご多分に漏れずITが活用されている。かつていずれかのリッツを利用したことがある顧客の属性やサービスの履歴、趣味嗜好、クレームなどがデータベースに蓄積されている。その顧客が滞在中は、どこのリッツでもその顧客についてのデータを引き出すことができる。顧客ごとに個別化されたデータがあるからこそ、上の知人のワインの例のような、アンティシペーションが可能になるというわけである。

 ITを売っている企業は口をそろえて主張する。CRMによる製品やサービスの個別化がますます重要になる。ITを駆使したCRMソリューションのシステムが経営の力な武器となる、という。その通りである。しかし、そうであるにもかかわらず、「CRMソリューション」にかなりの投資をしたにもかかわらず (もっといえば、そういう企業に限って)、本来の意味でのCRMがまるでなっていない企業が少なくない。リッツ・カールトンとこうした「その他大勢」の違いはどこにあるのだろうか?次回はリッツのビジネス全体の仕組みにおけるCRMの位置付けを探る。


リッツ・カールトンのCRM、「人間系」で差別化を実現

 リッツ・カールトンの強みはITのシステム自体にあるわけではない。リッツの使っている情報システムはごく素朴なものである。最先端のCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)システムに比べれば、むしろ遅れているといってもよい。ITだけを見ていてはリッツのCRMの本質はわからない。他社との違いは、IT以外の人間系のシステムにある。

 リッツ・カールトンで長年続いているルーティンに「ラインアップ」と呼ばれるミーティングがある。毎朝、あるいは各シフトの開始時間に、すべての業務においてラインアップが開かれる。たとえばハウスキーピング部門の場合、ラインアップにはそのシフトを担当する10人程度のスタッフが集まる。直前のシフトを終えたばかりの担当者が、宿泊している顧客について自分が知った重要な情報を次のシフトのスタッフに引き継ぐ。GRC(Guest Recognition Coordinator)と呼ばれる顧客識別担当スタッフによってプリントアウトされた宿泊客の嗜好情報をもとに、リーダーがいくつかのポイント、たとえばある宿泊客の部屋には枕を1つ余計に準備しておくことや、特殊な飲み物を手配しておくこと、別の宿泊客は英語がほとんど話せないということ、などを説明する。

 顧客ファイルには、その顧客の滞在中、すべてのスタッフがアクセスできるようになっている。つまりすべてのスタッフがサービスのフロントラインに立つのである。さらに重要なことは、顧客情報の入力に関しても、全員参加の原則がある。すべてのスタッフが「宿泊客嗜好メモ」と呼ばれる小さな用紙を持ち歩き、何かを「アンティシペート」(慮る・前回原稿参照)したときには即座に記入できるようになっている。たとえば、前回の知人の例でいえば、ワインについて夫人と話した会話から得られた彼女のワインや料理についての嗜好、夫である知人はお酒を飲めないこと、どのようなワインをどの料理と食べ、それに夫人がとても満足していたことなどがメモに残されているわけである。アンティシペートされた顧客の嗜好は、宿泊客嗜好メモに記入され、各担当部門のリーダーに渡されたあとに、最終的にはGRCの手元に届く。GRCはその内容を改めて解釈し、効率的・効果的な形でシステムに入力する。その情報は翌日から現場のサービスに反映される。

 ITは大規模な顧客情報を効率的に蓄積し、利用するためには確かに役に立つ。しかし宿泊客の言葉や行動に注意深く耳を傾け、趣味や嗜好をアンティシペートし、記録し、解釈し、特定のサービスをその顧客に届けるのはすべて人間である。リッツ・カールトンは情報の収集と解釈、顧客へのデリバリーのすべてを人間系のシステムに集約している。カギを握るのは人材である。アンティシペーションのための人材開発にリッツは努力を惜しまない。

 リッツ・カールトンの人材開発は採用から始まる。リッツではこのプロセスを単純に「採用」(hiring)とは呼ばずに「品質選定プロセス」と定義している。既存の従業員の中から業務別に優れた人材を選び出し、彼らの特徴や性格を分析する。この結果をもとに、優秀な人材の行動特性を洗い出し、採用基準として利用している。「生まれながらにしてリッツの追求するサービスに向いている人々」だけを採用するという姿勢である。人材が不足している部門であっても、「適材に当たるまで待つ」ことが推奨されている。ふさわしくない人を雇ってしまうと、アンティシペーションに向けたチームワークの一貫性が崩れ、他の有能な人間が辞めてしまうからだという。

 採用されたスタッフはサービスの品質に関する研修を100時間以上にわたって受講する。そのためにリッツは「ラーニングセンター」という企業内大学を持っている。研修で最も強調されるのが、「私たちは紳士淑女として紳士淑女をおもてなしします」という言葉に集約される「クレド」(経営哲学)である。さらに「ベーシックス」と呼ばれる20の具体的な行動規範や共有すべき価値観が叩き込まれる。クレドやベーシックスは、ラインアップでも必ず繰り返し触れられる。

 研修はその社員の専門分野に限定されない。ホテル全体の業務とそのつながりについての知識を幅広く持っていなければ、「紳士淑女をもてなす紳士淑女」にはなれないからである。例えば、メンテナンス担当者が廊下の電源装置の修理をしているとする。そこに宿泊客が空の氷容器を片手に辺りを見回しながら歩いてきたらどうするか。メンテナンス担当者はすぐさま丁寧に宿泊客に話しかけ、代わりに氷を取ってきます、と申し出る。リッツ・カールトンでは誰であろうと問題を見つけたものがその解決に当たることを第一に考え、解決した後にそれぞれの持ち場に戻るよう教育されている。これもまたベーシックスのひとつである。 

 アンティシペーションの能力を自由に、かつ最大限に発揮させるために、スタッフには他のホテルでは考えられない広範な権限が与えられている。すべての従業員は上司の許可を必要とせず、最高2000ドルまでを問題解決のために即座に使えるようになっている。何かの手違いで宿泊客の部屋の用意ができていないとしても、この権限委譲があるために、フロントのスタッフは即座に上位のグレードの空いている部屋を顧客に提供することができる。こうしたトラブルは「特別問題解決レポート」というフォームでデータ・ベースに残され、将来の問題解決の基礎となる。

 こうしてみていくと、ITはリッツ・カールトンのCRMシステム全体の、必要不可欠ではあるけれどもごく一部でしかないことがよくわかる。ITだけでなく、組織の分権的な構造、柔軟な分業、さまざまなルーティン、そしてなによりも強力に共有された企業文化と価値観、こうした人間系のシステムで構成されるケイパビリティー(組織能力)があって初めてリッツのCRMが動いているのである。


ITの出てくる順番を間違えるな

 「ITは手段に過ぎない」とは最近よく言われる言葉である。しかし、手段にすぎないはずのITに振り回されてしまう企業が実に多い。手段であるはずのITが、いつのまにか目的にすりかわったり、目的を飛び越したり、目的から浮き上がってしまう。


間違い多い「ツール」と「目的」の順番

 ITはツールである。はさみやカッターのようなものである。ツールの有効性は目的との関連でしか決まらない。新聞の切リ抜きであればカッターのほうがいいだろうし、切り絵をするのであればはさみのほうがいい。料理で肉を切るのであれば包丁である。一義的に優れたツールというのはない。しかし、ITの革新が早いスピードで起きているときは、最新のはさみやカッターや包丁が次々と世の中に出てくる。より切れ味の鋭い道具を手に入れることに目が向き、目的を忘れてしまう。

 何を切るときにはさみを使って、どういうときにカッターにするか、といった目的との適合関係が間違っているのであれば、症状はそれほど深刻ではない。最悪なのは、新聞の切リ抜きをしたいのか、料理をしたいのか、つまり、そもそも何をやりたいのかがはっきりしていないのに、先にツールを入れてしまうというという「順番の間違い」である。これは手段と目的の適合以前の問題である。ITを敵に回してしまっている企業では、この「順番の間違い」が問題の根本にあることが多い。

 リッツ・カールトンは、ITが出てくる順番の正しさが効果的なCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)をもたらしたという例である。(第3回・第4回原稿参照)あるGRC(Guest Recognition Coordinator=顧客識別担当スタッフ)は次のようなエピソードを紹介している。ある夫婦がリッツ・カールトンに泊まりにきた。彼らとの会話から、ベルマンの一人が結婚記念日を祝うための宿泊だと気づいた。ベルマンはすぐにGRCにそのことを連絡した。GRCは走って厨房に行き、花とシャンペンを部屋に届けるように告げた。すると今度はフロントのスタッフから電話が入り、「夫人は妊娠中」とのこと。妊娠中にアルコールは適当でないので、GRCは急いでシャンペンを引き上げ、「新しい家族の到来を心からお祝いいたします」と書いたカードとともにフルーツを部屋に届けた。

 これはまさにリッツならではの「アンティシペーション」(慮る[おもんぱかる]力)がフルに作動した例である。忘れてはならないのは、リッツではこういったことを、ITが導入される以前、ずっと昔から、毎日、従業員総がかりでやってきているということである。顧客データベースがコンピューター化される以前から、彼らは毎日ラインアップ(顧客に関する情報共有のためのスタッフミーティング)をやってきた。毎日従業員が宿泊客の嗜好をメモにとり、GRCがそれを集約してきた。ITを使うはるか前から、彼らは「クレド」(経営哲学)と「ベーシックス」(具体的な行動規範や共有すべき価値観)を共有し、アンティシペーションに基づく能動的なCRMを差別化の武器としてきたのである。


最初にあった「やりたいこと」

 ITを使う前の、顧客情報の共有は大変に手間がかかっただろう。ひとつひとつの宿泊客嗜好メモをGRCが手書きでまとめていたかもしれない。ラインアップでは、手書きの顧客情報がスタッフの間を行ったり来たりしていたかもしれない。せっかく以前に泊まったことのある顧客であっても、従業員の記憶に限界があるため、アンティシペーションに基づくサービスの可能性をみすみす逃していたかもしれない。過去の宿泊顧客に関する嗜好や問題解決のデータベースがあり、それに簡単にアップロードでき、必要な情報にサービスを提供する現場の人々がすばやくアクセスできたらどんなに楽になるだろう。リッツの人々は、実感としてそういう気持ちをもっていたはずである。

 リッツ・カールトンの戦略は以前から明確であり、従業員には「やりたいこと」がはっきりとあった。それを実行するだけの人材の能力や組織の構造、ルーティン、カルチャーが長い時間をかけて着実に練り上げられていた。しかし一方でIT以前の情報処理は非効率的であった。要するにリッツの人々は毎日の仕事という実体的なレベルでITを渇望していたのである。

 そこにITを投入したからこそ、砂に水をまくようにITが組織に浸透し、活用され、CRMへと結実したのである。ただし、その成果は本質的にはこれまでやってきたことの改良である。ITによって初めてCRMが実現できたのではない。これまでもやっていたCRMがよりよく、より効率的に、より広範囲にできるようになったという話である。


ITを敵に回す投資

 ITの活用に失敗する多くの企業では、これと正反対の順番で物事が進んでいく。マスメディアでソリューション・ベンダーの「これからはCRM!わが社の提供する最先端のITシステムはこれです!!」といった内容の広告を見たりセミナーを聞いたCEOかCIOかシステム部門の企画スタッフが、「他社でそんなことをやっているんだったら、ひとつうちでもやってみるか」と考える。ソリューション・ベンダーを呼んでプレゼンテーションさせてみると、なるほどすばらしい提案である。経営会議でゴー・サインが出て、IT投資となる。

 ITが導入されて、システム部門による説明会が各部門に対して実施される。しかし現場の方では「これで何ができるのかな」といった程度の受け止め方である。何しろ毎日の仕事が忙しい。最新のITのおかげで、忙しい日常業務の上にさらにデータのインプットだアウトプットだ、アップロードだダウンロードだと手間がかかることおびただしい。現場の人々による情報の更新の範囲や頻度が十分でないので、データベースにある情報が陳腐化し、ますます現場にとっての魅力がなくなってしまう。システム部門が集中的に面倒を見るには仕事量が多すぎ、何よりも現場の生きた情報がつかめない。それではと、自動化の程度を高めてしまうと、今度は利用可能な情報がありきたりの形式情報ばかりで、情報活用の前提となる解釈がきかなくなる。こうなってしまうと、ITは完全に経営の敵に回っている。そのうち誰も触らなくなる。ソリューション(問題解決)どころかITが組織にとっての問題そのものになってしまう。せっかくのIT投資がほこりをかぶったまま終わってしまう。

 すでに強調したように、ITは極めて人間的な技術である。人間が構築する組織能力を追い越すことはできない。ITが組織能力を追い越したその瞬間から、ITは経営の敵になる。経営の味方となるITは、組織能力にちょっと遅れてついてくるぐらいでちょうどいい。ITを毎日の仕事のなかで使う現場の人たちにどうしてもやりたいことがあって、それを実行するためにもう少しうちの会社のITは強力にならないのかなあ、と不満に思っているぐらいがちょうどいいのである。

 技術的にどんなに強力なシステムであっても、会社の多くの人々がその必要性や意義を十分に理解していなければうまくいかない。逆に、どんなに旧式のシステムであっても、内部の人々がどうしてもITを使いたい、ITなしではもうどうしようもないというような強いモチベーションを持っていれば、かなりの程度まで成果を引き出すことができるはずだ。


IT革命で再認識した「連続の時代」

 蒸気機関や原子力のような「人間ができないことをやる」ための技術とは違って、ITには本来的に「人間にしかできないことを(人間がやるよりも効率的に)やる」ための技術であるという性質がある。「ITを使えば、これまでとは違った、質的に新しい何かが出来るようになる」という考え方は根本的に間違っている。ITは、これまで人間がやりたいと思っていたこと、やっていたこと、きちんとできていたこと、そうしたことがしっかりとあって、その上で同じことをもっと効率的にやるためのものである。

 この連載では、企業の外にいる顧客にとっても、それを活用する企業の中の人々にとっても、ITがきわめて連続的な性格を持っているということを主張してきた。数年前、インターネットの爆発的な普及を受けて、ITは世の中を一変させてしまう隕石のようなものだと言われていた。「IT革命」まっさかりの時に「IT=隕石説」を強力に唱えていたある高名な経営者の著書のタイトルは「非連続の時代」である。しかし、ITがどんなに進歩しても、顧客の欲求のありようや経営の原理原則はいささかも変わらない。ITの進展は、かえってわれわれが「連続の時代」に住んでいることを教えてくれている。

<筆者紹介> 1992年、一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。96年、一橋大学商学部およびイノベーション研究センター助教授を経て2000年から現職。専攻はイノベーションのマネジメント。新しいものを生み出す組織や戦略について研究している。現在の研究テーマは「次元の見えない競争におけるコンセプト創造の組織能力」。趣味は音楽(聴く・演奏する・踊る)。1964年東京都目黒区生まれ。主な著書にInnovation in Japan (1997、Oxford University Press・共著)、Managing Industrial Knowledge (2001、Sage・共著)、『ビジネス・アーキテクチャー』(2001、有斐閣・共著)、『イノベーションと知識』(2001、東洋経済新報社・共著)、Hitotsubashi on Knowledge Management (2004、Wiley、共著) などがある。日本での論文は「ITのインパクトと企業戦略:ビジネス・アーキテクチャーの視点で考える」(2001)『一橋ビジネスレビュー』、「価値分化:製品コンセプトのイノベーションを組織化する」(2001)『組織科学』他多数。


2005.02.10

ブログ荒らしに辟易Vol.11

インターネットが、自らの活動の立案とその推進に関して想像的かつ意欲的であるところの健全な活動家や起業家達にこそ広く開かれ、そして有益な存在であって欲しいと日々願って止まないのですが、残念ながらその実情はそうした理想からは大きくかけ離れてしまっていることは否定できません。

インターネットを愛する一個人あるいは一起業家として、現時点における実情に左右され一喜一憂することなく、自らがあるべきと信ずるところの本来の在り様と方向性に則して、日々淡々と様々なウェブアクティビティーを継続していく日々を過ごしてはいるのですが、正直なところ相当に強固な自尊心と並み並みならぬ忍耐力が要求されますし、残念ながら少なくとも現段階におけるウェブは、周囲の第三者に対して積極的に推奨できる水準にはありません。

そうした様々な日々のウェブアクティビティーの実情については、まずはサイト開設以来未だ脱却できないでいるこのプロローグを締めくくり、本来目指すところのリアルタイムかつインタラクティブな運営形態への移行後に随時言及していきたいと思います。


2005.02.07

いよいよ収拾がつかなくなりつつあります(business & life共通)Vol.2


そうはいってもやるべきことはやらざるをえず、可能な限りストレスを溜めることなく、目の前のできることを一つ一つ片付けていく他はないわけで、こんな愚痴を書き連ねている余裕があるのなら、とっととやれよという話ですよね。

昨年の師走から特に多忙を極めていたうえに、新規案件の同時スタート、普段あまり依頼のない種類の業務依頼、度重なる地方出張、データを消失する危機に見舞われた深刻な日常メインPCの長期にわたるトラブル、個人的な友人筋のトラブルシュートなどと、時間と手間を要する用件が一時にどっと重なってしまい、まさに四苦八苦の状況が続いていました。

いくつかの案件に目処が立ち、やや日々に余裕が生まれつつあるので、今月でこのサイトの更新とメールマガジンの発行を追い付けたいと思います。

今回は、時々メールを下さる常連の方々の他にも、初めてのサイトリピーターやメールマガジンの読者の方々からも叱咤激励をいただきました。まずはこの場にて、お詫びかたがたお礼を申し上げます。返信は遅れながらも必ずさせていただきます。


2005.02.06


いよいよ収拾がつかなくなりつつあります(business & life共通)

このサイトの運営とメールマガジン2誌の発刊を同時に開始して以来、はや4年近くになります。当初から発行周期の長かったメールマガジンでしたが、刊行インターバルは日々さらに開きつつ、配信スタンド数多のメールマガジンの中でも恐らく最長の強制廃刊すれすれの状況、daily short columnsを中心としたサイト更新も、このところすっかりと滞ってしまっています。

書きかけのままの各種連載コラムも相当数に昇ってしまっているばかりか、未だ脱却できないプロローグを締めくくるために必要と計画して久しいいくつかのテーマへの言及についても、まったく手すら付けられないでいます。

ここ数年の実情に即したコンテンツの追加やリニューアルを必要としているこのサイト以外の各種自営ビジネスサイトの更新も放置されて久しいばかりか、依頼を受けた案件としての顧客サイトすらも手付かずのままという異常事態に陥ってしまっています。

もう納期を契約に含めない、明日できることは今日やらないという冗談とも本気とも判らないスタイルを公言して久しいものの、さすがに私も罪の意識に苛(さいな)まれて本気で焦り始めている今日この頃です。(続く)