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2005.12.26


■ニートのいない国(安藤茂彌氏)


 日本でいま、ニートという言葉が定着している。Not in Employment, Education, or Trainingの略である。雇用されておらず、学業にもついておらず、職業訓練も受けていない人を指す。職を探していない点で失業者と異なる。不安定ながらも職を得ているフリーターとも異なる。

 私は以前に日本でニートと認定されたことがある。28年間勤めた銀行を自主退職し、米国で職を探すことになった。直ちにハローワークに失業保険を貰いに行った。「失業保険を貰うためには月に一回、自分の就職活動、職業訓練の状況をハローワークに報告をしなければならない」と言う。しかし、そのために毎月帰国して報告なぞできない。日本で真剣に職を探す熱意が感じられないということでニートと見なされた。失業保険は下りなかった。

 アメリカに「ニート」という言葉はない。イギリスで統計分類用に作られ、すぐ死語になった言葉である。イギリス人に聞いてもわからないであろう。もちろん、アメリカ人にはチンプンカンプンである。なぜこの言葉が日本で流行るのか。まず、ニート人口の多さである。52万人もいると言う。労働人口が減少していく中で、52万人は大きい。

 なぜニートが発生したのであろうか。よく言われているのは社会の二極化である。高度成長期の日本では多くの人が自分は中流階級にいるとの意識を持った。しかしこの中流階級意識がいま、上流と下流に分解しているという。普通に努力していれば中流を維持できる世の中ではなくなっている。

 高度成長期には人並みに努力していれば、拡大する国富が分配され皆豊かになった。いまは違う。大学を出てもよい生活ができる保証はない。一流企業に入っても一握りの勝ち組とその他大勢組に分解される。その上、企業が突然倒産することもあるし、レイオフされることもある。配偶者を見つけるのも自己責任である。たとえ結婚できても離婚される可能性もある。周りを見ればリスクだらけである。

 ニートの「幸せ覚え」が現実に立ち向かう気概を失わせているのではないだろうか。自分が育った家庭が自然に豊かになった記憶を持ち続けているのだろう。学校も「幸せ前提」教育をした。「みんな仲良くするように」「世の中は平等である」と。だが、現実は大きく違った。彼らは現実に立ち向かえずに、立ちすくみ、尻込み、引きこもってしまったように思う。

 アメリカは違う。生まれたときから、周りには色の違う人もいれば、豊かな人も貧乏な人もいる。彼らが教わる平等意識は「人を皮膚の色で差別をしていけない」ことである。逆に言えば、生まれた時から差別を知らされる。生まれた時から貧富の差を知って育つ。学校でも「ハンディキャップを克服してこそ自分の人生を切り拓ける」と教える。アメリカンドリームを植え付ける教育である。「幸せ覚え」もなければ、「幸せ前提」教育もない。

 成長するにつれてアメリカンドリームがいかに狭き門であるかを知る。黒人、ヒスパニック等のマイノリティが成功する確率は低い。しかし、アメリカの指導者は「機会は皆に平等に与えている」と言う。そして実例を挙げる。パウエル元国務長官、ライス現国務長官。確かに実例はある。「努力をすれば君たちも彼らみたいになれるのだ」と。

 アメリカには「下流」を「中流」にする社会政策は少ない。恵まれない環境におかれた若者を就業支援する「ジョブコア」がある。これは寄宿生活を送りながら、集団規律と働くことへの心構えを訓練する制度である。だが、これとて勤労意欲の見られる人たちの中から選抜して実施され、資格年齢は24歳までである。アメリカには、いつまでも「職業に背を向け続ける」人たちを更生する制度はない。

 アメリカには教育を広く受けさせるための制度はある。コミュニティ・カレッジには年齢に関係なく、いつでも入学できるし、授業料も一科目10ドル(1200円)以下ときわめて安い。経済的に恵まれない家庭に育ち、学業優秀な子供の大学進学を支援する奨学金制度も多く存在する。工学系の博士課程では研究プロジェクトで働きながら学位をとることも可能である。ただし「教育に背を向け続ける」人たちを更生する制度はない。

 アメリカ。意欲を持たない人には冷淡な国ではあるが、意欲を持つ人には限りない可能性を与えてくれる国である。今年6月に、スタンフォード大学の卒業式で一人の起業家が講演した。アップルの創立者のスティーブン・ジョブズである。彼の半生を振り返ったこの講演は多くの感動を呼んだ。

 まず彼は、未婚の母から生まれた私生児である。資力のない母は彼を生んですぐに、子供のいない夫婦に養子に出すことにする。複数の候補カップルの中から、彼を大学進学させると約束してくれた夫婦の養子に出すことにした。

 彼は無名私立大学に進学するものの、両親の資力では高い授業料を払えなくなり、退学を余儀なくされる。退学したら自分に興味ない必修科目をとる必要がないので、好きな科目を聴講することにする。このときにとったカリグラフィの講座が、後にマッキントッシュのフォントを設計するのに役立った。人生の回り道は決して無駄にならないと言う。

 20歳でスティーブ・ウォズニアックとともに、自宅のガレージでコンピュータ作りを始める。これが後のマッキントッシュの原型になる。それから10年後、彼は自分が創立したアップル社を首になる。自分が選んだ後任社長との意見の対立が原因である。そこで彼は浪人生活を送ることになる。だが、浪人にはなってもニートにはならなかった。

 もう一度一から出直して自分の好きなことをやってみようと考え、早速実行に移す。ひとつはアニメで、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立して、世界初のコンピュータ・アニメーション映画「トイ・ストーリー」を世に出す。もうひとつは、新しい技術を搭載したワークステーションの開発で、NeXT社を設立する。しかし、この会社の製品が売れずに失敗する。

 1996年にアップル社がNeXT社を買収して、スティーブン・ジョブズは再びアップルの社長に返り咲く。NeXT社の技術は後にiMacのMac OS Xとなって開花する。ジョブズのアップルはデジタル音楽携帯iPodを世に出し、さらに新しい分野を開拓してきている。

 彼の人生談でもうひとつ重要なものがある。それは「死」である。人生訓として次の座右の銘を挙げている。「来る日も来る日もこれが人生最後の日であると思って生きること」が大切であると言う。人生を左右する重大な選択を迫られたときには、この言葉が決断を下す大きな手掛りになってくれたと話している。

 事実、昨年彼はすい臓がんで6ヵ月の命を宣告された。ところが内視鏡検査を受けたところ、この腫瘍は特殊な形をしていて手術で摘出可能なことがわかり、幸運にも生き延びることができたと言う。だが、この経験を通じて、彼は自分の時間が限られていることを学んだ。だからこれからは、本当に自分がやりたいことだけをやると言う。講演の最後を、「人生で一番大切なことは、ハングリーであり続けること(Stay Hungry)と、馬鹿であり続けること(Stay Foolish)だ」と結んだ。

 スティーブン・ジョブズの人生とニートの考え方とは一見似ているように見える。ニートは自分らしい生き方を求めているし、好きなことをやりたいと願っている。ジョブズも同様である。だが、ニートのように夢で済ませてはいない。願いを果敢に実行してきた。日本でベンチャーを起こす環境は大きく改善された。ホリエモンが出てくる時代である。日本のニートがジョブズと同様な生き方を追求できる土壌が既にあるように思うのだが。

◆安藤茂彌氏◆
 東京大学法学部卒、三菱銀行入行、MIT経営学大学院修士、三菱銀行横浜支店長を歴任。96年に東京三菱銀行を退職、シリコンバレーに渡り、ウェブ上で米国ハイテク・ベンチャーを日本語で紹介するサービスhttp://www.ventureaccess.comを提供中。

〔日本経済新聞〕