DAILY SHORT COLUMNS - Daily Life -

 

2001.07.29

真の自立が私達の常識と社会を変える


昨今日本経済を低迷させ、日本人から心の豊かさ、創造性、将来への希望を失わせている主因は、旧態依然とした私達の常識にあります。

私達の常識は、日本が高度経済成長を続けていた時代に適合していたもので、成長の過程から成熟への段階を迎えた二十一世紀においては、もはや時代錯誤の過去の産物と言っても過言ではありません。

新しい時代には、新しい方針と方法論が必要であるにもかかわらず、その常識から脱却できないばかりに、前に進むどころか逆に過去に立ち戻ろうとしているかのような風潮すら広く蔓延しています。

現状の常識のすべてを否定しているわけではありません。いつの時代にも変わらない共通の事柄も多いわけですから、何を棄てて何を変えるかは私達自身の頭で考えなければなりません。自分が何が欲しいのか分からなければ何も手には入らないのですし、もはや誰にでも目標が共通で明確であった20世紀は終わり、私達一人一人が何をどうしたいのかを考え行動する21世紀になりました。

今日は選挙、聖域なき構造改革というテーマを掲げながらも、その具体的方策を持たない政府に、ただ口を開けてさえずる雛鳥のような姿勢から脱却し、これからの日本の進むべき道を私達一人一人が真剣に考えることなくして、真の構造改革など達成できるはずもありません。現状の日本の状況は、すでに成長した大人が、さらに背を伸ばし続けていこうとしているかのような、もともと無理なことにあくせくしているようなものです。

私達の生活とこの国の将来を創り支えていくのは、私達一人一人の個人の主体性と積極性であり、それは私達個人の真の自立へとつながっていきます。そして個人の真の自立のうえにこそ、私達が目指している私達による私達のための公正かつ公平な自由競争資本主義社会が始めて成立するのです。


2001.07.28

実現と挫折の分岐点


私の周囲には、性格も明るく言動もきびきびして、負けず嫌いで我侭で男勝り的な女性達が目立ちます。というより、それは単に私がそんな女性達が好きだというだけのことかもしれません。

いずれにせよ、様々な女性達が、様々な環境の下それぞれの方向に向かって自己を実現しようと努力している姿は彼女達を輝かせ、またそれを見守っていることは、私を充足感で包んでくれます。必然的に私は、そうした彼女達を非力ながらもできるかぎりの支援をしていくように常に心がけてもいます。

たとえその時々の彼女達の結果がいかなるものであろうと、また周囲の第三者達が彼女達をどのように評価しようとも、彼女達が輝き続ける限りは、遅かれ早かれいずれ彼女達は自己を実現していけることでしょう。

実際にまずは始めてみること、そして少しずつでも這ってでもあきらめることなく前に進みつづけるか否か、それが実現と挫折の分岐点であることを、彼女達は日々私に教えてくれています。


2001.07.25

いつもどこかで誰かが見守っている


最近私の周りには、何故かステディーな彼氏のいない女性達が目立っています。皆才色兼備の素敵な女性達ばかりです。

私は容姿や言動は中性的な印象を人に与えるようで、そのためか同性よりも異性の友人のほうがずっと多く、私としては不本意ながら彼女達にも警戒心をほとんど持たれたためしがありません。

彼女達の多くは、まるで同性の友人に対するように遠慮やてらいのない素顔で接してきますので、必然的に彼女達の愚痴や悩みといった本音の部分に触れることになります。

なまじ自らの容姿や才能や能力に自負心があって、また実際日々の生活や仕事上での努力と研鑚も怠らない彼女達にとっては、正当に理解評価されない、あるいはなかなかチャンスを与えられない、信頼できるあるいは尊敬できる、そして何より心から愛せる異性が周囲にいないことなどが共通の悩みであって、それぞれひたすら資産形成に走ったり、年下の男を可愛がったり、ショッピングに明け暮れる、休みの度の海外旅行中毒などと様々に副作用が発症しています。

他人の評価など気に留めないで自らの基準と尺度で生きる彼女達を、いつもどこかで誰かが見守ってくれているという、またそんな人達の内の、あるいはこれから出会うまだ見ぬ人達の内の将来の人生の伴侶に巡り合うためにも、人に愛されるためにはまず人を愛することから、さらに人を愛するためにはまず自らを愛することからという必然性に自ら気付いてほしいと、私はいつも願って気長に彼女達に接しています。


2001.07.22

便利でも危うい情報ツール


先日会ったある若い女性と待ち合わせの際の連絡がなかなかとれず、すぐに次の約束があったのでもうその日は会えないのかと思いました。

会うには会えたのですが、何だか彼女の言い訳だけ聞いて終わってしまった感じで、久しぶりだったにもかかわらずほとんど会話もできずじまいでした。

というのも、その前日彼女は携帯電話をトイレに落として壊してしまったらしく、当日私と会う直前に新しい携帯を購入したのだそうです。同じ機種にしたかったにもかかわらず、4万円近くも予算が必要とのことで、結局安価な別機種にしたためまだ使い方がほとんど解らなかったようで、私の待ち合わせに関する直前のメールや電話に気付かなかったとのことでした。

彼女が困っていたのは、水没した以前の携帯のメモリーに入っていた知り合いの連絡先が判らなくなってしまったことで、特にそこにしか入っていない最近知り合った人達の連絡先については、相手から連絡がなければもうお手上げ状態とのこと。それで友好関係がなくなるのであれば、それだけの縁でしかなかったということだからと慰めておきましたが、それにしても困りますよね。

私の場合は、電話をかける&受けるとデータ通信専用で、メモリーをはじめ他諸機能は何も使用していません。また業務用途主体なので、常に使用ツールのバックアップには留意してそれなりの時間と手間をかけています。

便利でもはや無くてはならない各種情報ツールですが、重要な情報ならばせめてバックアップはとっておかないとですよね。


2001.07.21

プラズマだったの???


15日のダイアリーにて、不可思議な宙に浮く球体にて書きましたが、それはプラズマなのではという示唆をいただきました。

早速検索エンジンにヒットしたいくつかの関連ホームページを調べてみましたが、確信が持てるまでの明確な情報は得られなかったものの、そうだったのかなあという印象が持てました。

物体は、その温度により高くなるにつれて、固体から液体へ、さらに気体へとその形状を変化させていき、プラズマとは気体の次の四番目の物体の形状なのだそうです。

太陽から放射されているもの、惑星間の何とかといった宇宙空間における存在かのような、あるいはまた雷やオーロラといった大自然の現象かのような、よくは理解できない記述がほとんどでしたが、ある一定の条件が揃えばごく身近な日常の生活においても確認できることがあるようです。

その家の人達の弁では、雷が実際に落ちたことはないものの、危険な場所だという認識はあるようで、確かに敷地の右手には高圧線が通り、左手には携帯電話の通信タワーがあって、そのどちらからも約45度の角度の延長線が交差するところにその家は建っています。

またその日はいわゆる熱帯夜で、高温高湿の状態であったというような、何らかの特別な条件が重なってのことなのでしょうか。

いずれにせよ、不確かな想像の域を出ていません。こうした方面に詳しい方、もしよろしければ教えていただけると嬉しく思います。


2001.07.18

本厄だあっ!


昨日7月17日は、私の42歳の誕生日でした。いよいよ本厄です。別に気にしている訳ではないのですが、周りのほうがうるさいので、きちんと厄払いには行きました。

それにしても、そんなことより、この42という数字に今さらながら驚いてしまいます。頭の中は20歳からほとんど成長していないのに・・・。

このところの慌しさにかまけて、本人すら忘れていた誕生日を覚えていてくれて、電話やカードやプレゼントをくださった皆さん、どうもありがとうございました。

私はお返しもしないばかりか、友人の誕生日すらもほとんど覚えていない不義理な男ですが、ありがたく頂戴いたしました。どうぞ今後はそうしたお気遣いなくお付き合い願えればと思います。
こうした行事にはこだわらず、心にかけてくださる方々には、普段のお付き合いの中で私の親愛や感謝の気持ちを伝えていきたいと考えています。


2001.07.15

不可思議な宙に浮く球体


昨夜の私の宿泊先は、周囲を山と渓流に囲まれた、夜はこの季節といえども寒く感じるほどののどかなところです。

私も皆が寝静まった後最後にゆっくりと入浴をし、庭先に出てほてった身体を心地よい夜の空気にあずけながらぼんやりと煙草をくゆらせていました。

見上げればまさに満天の星、目が慣れてくるとそれまで見えなかった星が次から次へと現れて、次第に闇夜を埋め尽くして光の海へと変えていきます。神秘的なゆったりとした気持ちになって、ふと前方に目を移すと、まだ人の背丈ほどでしかないほんの数メートル先の庭木のすぐ上に、それは穏やかな夜の風に揺られているかのように闇に静かに浮かんでいたのです。

ぼんやりと薄いかすかな中心の光の周りにうっすらとハンドボールくらいの白い輪郭が見えて、まるで私を見つめているか語りかけているかのように付かず離れず、結局私がその場を離れまで同じ場所にずっと漂っていました。

自然に明け方に目が覚めた私は、気になってまた見に行ってみましたが、もうそこには何もありません。一体あれは何だったのでしょう・・・。


2001.07.10

永遠の人の三回忌


今日は三年前にある日唐突にして脳梗塞で逝った私のかつての恋人の墓参りに出掛けてきました。殺したって死なないというのが友人達や私の共通の彼女に対する認識でしたが、三十代の最後の歳に、おそらく本人も自分が逝くのも気付かなかったと思えるほどあっけなく、帰宅して二階への階段を昇ったところで倒れました。

彼女の遺体は、数日まったく連絡がとれなくなったことから心配して様子を見に行った家族によって発見されましたが、亡くなってもう数日が経過してしまっていましたから、正確な彼女の命日は判りません。

彼女は今月の1日、私は17日が誕生日で、生前よく一緒に二人で祝った想い出もあって、今年は遅れてしまいましたが、私は彼女の誕生日に墓参りをしています。

彼女が逝ってその後の私にとって本当に意外で驚いたのは、彼女を永遠に失ったことがまったく悲しく感じられないことです。当初はまだ彼女の死を私が許容できていないのかなどと思ったりもしましたが、この三年間毎日私は彼女の死とそれに向き合う自分自身を見つめてきましたから、もはや今ではそれは確信に変わりました。私はやはり彼女の死をまったく悲しんではいないのです。

亡くなってから彼女は、私にとって生前よりもずっと身近な存在となりました。その度合いは日々私の中に深く入り込んで、私の中でそのまま生き続けています。というよりも、新たに生まれ変わったというのが、実際の私の感覚には近いかも知れません。私は日々彼女と語らいながら私の日々を一緒に過ごしていますし、彼女は私をして何か彼女自身を実現させようとしていることも強く感じることができますし、実際にも私は彼女の代わりに彼女としての日々も過ごしています。

私が私自身を実現できるのも、また彼女自身を実現させるにも、まだまだ長い道のりが待っていることでしょうが、それに向かって少しずつでも前進していく彼女と私の日々は、厳しく苦しい反面で、実に楽しくそして充実感に満ちています。

今日の墓参りも、まるでピクニック気分で、片道3時間近くもかけて出掛けていくのですが、それが実に楽しいのです。炎天下で日差しを遮るものがなくあまり長居はできませんが、共にお互いが好きな酒とオードブル、そして煙草で誕生日を祝う習慣は今も続いていますし、きっとこれからも続いていくものと思います。


2001.07.09

原告本人不在の裁判


先週末第2回公判に出掛けてきました。

お金に関するトラブルで私は被告の側なのですが、原告本人は第一回口頭弁論の際から出頭せず、すべてを代理人弁護士に任せており、実際の経緯や現状の詳細になど全く興味もなく、ただ依頼事件を一つ処理したいだけの代理人弁護士と、やはり早期にそして簡潔に抱える数ある事件の一つを処理したい裁判官を相手に、私は弁護士を立てずに独力で係争をしているのですが、そこは筋道も道理もまったく存在しない本末転倒の世界です。

裁判所にはどこかの大会社のトップらしき人達や街の商店主らしき人達、あるいはあるその筋らしき人達など、そしてもちろんそこで働く人達や検事や弁護士など、実に様々な大勢の人達が出入りしていますし、何よりその建物にこんなにたくさんの法廷があるのかとその数に驚いてしまいます。

日々開かれる様々な刑事民事の裁判のリストは相当な厚みですし、様々な申し込めば誰でも傍聴できる一般公判に加えて、社会的認知度や影響度の高い公判の傍聴は抽選されます。

私の公判の日にも、新聞やテレビの中のどこか遠い世界の出来事のように感じていたいくつかのマスコミを賑わすいくつかの事件の公判が行われており、こんなに身近な出来事なのかと改めて認識を新たにさせられる思いがしました。

私の事件は、現状和解の方向に向けての調停という段階であって、実際の公判となればもっと事実の検証に基づく正義が重んじられるものと信じたい気持ちですが、本人同士の問題をあかの他人の第三者に任せきりにして本人が出頭しなくてもよい決まりや、あるいは犯罪者がお金さえ支払えば保釈されてしまう仕組みなど、一つ一つ挙げだしたらきりがありませんが、矛盾と強者の論理に満ちた法律と司法の実情には深い失望の念を禁じ得ません。

昨今司法制度改革のための様々な議論が進んでいますが、公正かつ公平な開かれた司法のための実質的改革が推進されていくことを願うばかりです。


2001.07.06

ふうっ・・・、しかし暑い・・・。


それにしても毎日暑い日が続きますね。本来の予定なら今頃はヨーロッパをまた転々としていたはずでしたが、予定に大幅な遅れが生じており、結局はまた今年も私が最も苦手なこの梅雨の時期を日本で過ごすことになってしまいました。

自ら興した事業に失敗する数年前までは年間のほとんどを海外流浪生活をしていた私は、この時期は大抵気温は高くとも湿度が低くカラッとした気候のヨーロッパ各地に滞在するように予定を調整していましたから、失敗した事業の再建と並行しての新規事業の立ち上げでこの数年を日本で過ごしてきた私には、この時期を乗り切るのはなかなか厳しいものがあります。

私は、寒さにはとても強く、これからの暑い夏の時期よりも、ビシッと寒い冬の時期の方がずっと好きなのです。というよりも汗かきの私には、汗をかかなくてすむ時期が好きなだけなのかもしれません。

裸になったところで暑い夏の時期はどうしようもありませんが、最近では軽くて薄くて暖かい科学のウェアーが格段に進歩して、アウターの中はほとんど年間通して着られるような軽装でいられるようにもなりましたから、余計にまた冬の時期は過ごしやすくなりました。

寒い戸外から戻り、熱い珈琲やウイスキーやジンが身体を流れていくのを感じながらくらくらするほどタールの強い煙草をくゆらす至福感がたまらなく好きなどという、きっと季節自体よりもその時期のあるいくつかの行為がただ好きなのかもしれません。


2001.07.01

引越しも無事終わったものの・・・


今回は引越しを機に、余分なものは処分して、身辺を整理しようと思っているうちに結局また当日になってしまい、ほとんどのものはそのまま倉庫に移しただけという結果に終わってしまいました。

事前の予想をはるかに越えて、これまでの狭いSOHOのどこに隠れていたのかと思うほどの膨大な書類や小物がわいて出てきて、引越し業者が荷物を運び出す横で追い立てられるようにまだ箱詰めをしているといった状況で、最後は仕分けする間もなく倉庫に入ってしまいました。また一部の荷物を取り出しに出向かねばなりません。

サーバー移転というネット上の引越しも予想の他大変な作業で、そのうえいくつかのトラブルや不手際が重なったおかげで、復旧してから昨日今日と各種関連設定の変更やら、引越しで止まってしまったルーティーンワークを追いつけるので、ほとんど終日パソコンから離れられないでいましたが、ようやくもうすぐで一段落というところまできました。

明日以降はそれほど慌てはしませんが、徐々に書類のデジタル化を進めて、できる限り荷物を少なくしておきたいと考えています。