DAILY SHORT COLUMNS - Daily Life -

 
2002.11.28
巡る巡る・・・ Vol.27

さらに言及すれば、すべての存在は、それぞれの存在なりの固有の価値観に基づいてあるがままに許容されるべきであり、第三者の異なる独自の価値観に基づいて一方的な判断を下されるべきものではありません。

但し、ここでいうところのあるがままに許容されるべきすべての存在とは、同様に他の存在も否定しない在り様を前提としていることは言うまでもありません。

例えば破壊や殺人・・・、第三者の存在を完全に否定してしまうこうした行為は、私達の社会におけるいかなる場面においても肯定されるべきものではありません。しかし、頭ごなしに否定していたところで、何らの解決にもさらには防止にもつながってはいきません。そうした回避すべき悲惨な結果に至る原因と経過を把握し、抜本的に問題解決をしていくことこそが重要なのです。

私達の多くが陥り易い過ち・・・、それは自らの存在やその在り様を許容してくれる、さらには評価してくれる第三者の存在や客体的な尺度を良しとしてしまいがちなことです。こうした過ちを犯さないためには、何より自らの絶対的価値基準を養うことなのですが、これは何度も言及するようになかなかに困難なことなのです。(続く)


2002.11.24

巡る巡る・・・ Vol.26

興るものは亡びます。永続的な存在も何一つとしてありません。そしてまた、必然的にどんな存在の在り様も常に変遷していきます。過ぎ去った在り様にしがみついても、私達自身も私達の社会も変遷しているのですから、常に新たな在り様が求められ続けることになります。

私達の日本は、既に転換期にさしかかって久しい状況です。時代が転換する時には、必然的にそれまでの時代に適合していた社会構造も転換していかざるをえません。

しかし、転換を余儀なくされている状況において、それまでの方向性や方法論にしがみついていたのではまったくらちがあきません。

これまでの経緯や現状を頭ごなしに否定するのではありません。それらの延長上に新たな視点や価値を付加していくことです。否定はさらなる否定につながるだけで、何らの新たな価値の創造にもつながってはいきません。

すべての存在の在り様については、常に原因と現状に至るまでの経緯がありますし、それを無視して現状の在り様に対してのみ何らかの判断や評価をすることは、ほとんど意味をなさない行為であると言えます。(続く)


2002.11.23


たかがパソコン、されどパソコンVol.22(Business & Life共通)

私は周囲の人達によく珍しがられるのですが、日本語入力の際にはかな入力を、そして英語入力の際にはローマ字入力を使用する併用派なのです。

世間では圧倒的にローマ字入力が主流のようですし、私の周囲でも、使いもしないカナが併記されているキーなどデザイン的にも醜悪だと、キーボードを海外仕様のものに交換してしまっている知り合いも目立ちます。

キーも倍の数覚えなければならずたいへんでしょうとも言われますが、私にとっては日本語を英字で入力することは左手で箸を使うようなもので、できなくはありませんが、直感性に乏しいうえに思考を発展させていきづらいのです。

私は今このコラムを出張先から戻る移動中の電車内でPDAで書いているのですが、手書き日本話テキスト変換アプリケーションを別途購入インストールして使用しています。サードパーティー社製の折り畳みキーボードも携行していますが、それはカナ表記のないローマ字入力専用であることもあって、若干日本語認識変換の精度に問題があり、何度か入力し直したりする面倒があるにもかかわらず、大抵は手書き入力モードによりちまちまコラムを書いています。(続く)


2002.11.22

たかがパソコン、されどパソコンVol.21(Business & Life共通)

私もパソコンを使用し始めた当初は類に洩れず、まさにパソコン自体にはもちろん、メーカーやベンダー、さらに販売店の思惑に翻弄され続け、便利さや快適さを享受するどころか、膨大な時間と手間、そして費用を浪費したものです。

前述のデザイン会社を興した際の過剰初期投資に始まって、その後も今から思えば随分と無駄な買い物をしてきたものですし、解ってしまえば簡単な事柄やそもそも不要な事柄に対しても、相応の時間と手間を費やしました。

私は元来究極的な文科系でしたし、もともと苦手意識が強いパソコンなどを使用しないで、従来どおり紙とペンの世界に戻ろうかと、何度思ったかわからないほどでした。しかし、コンピューティングが必須という時代の流れや、そして何より2500万円分の投資済みの機器をビジネスに活用していくために、もはや私には後戻りは許されませんでしたし、必死にスキル習得に励んだものでした。

まずはキータイプからです。私はもうこの10年毎日欠かさずパソコンと長時間向き合っていますが、未だにブラインドタッチができないのです。ほとんど無意識に指は動きはするのですが、まだ視線をキーに走らせていないと、ところどころでミスタッチが起こります。したがって、移動中の車中などの暗い場所でパソコンを使用するために、常時手元を照らすUSBライトを携行しています。(続く)


2002.11.21

四十にして立てるか・・・Vol.7

彼女は実のお兄さんを心から愛していました。それ故に想いを寄せる私の存在を認めてくれてはいましたが、私を心から受け入れてくれることはその後もありませんでした。

私は中学校三年の後期に生徒会長になったのですが、立候補前に自ら立てた公約の一つに基づき、それまでほとんど生徒レベルの主体的交流のなかった近隣他校との積極的な交流を図るため、各校の生徒会に申し入れをして訪問を重ねていた時に、初めて私は彼女に出会いました。

彼女は市内のやはり6年一括教育の女子高の生徒で、生徒会の書記のうちの一人だったのです。

生徒会の役員をしていたほどですから、活発な明るい少女かと思いきや、ほとんど自ら口を開くこともなく、笑顔すらもほとんど見せない、どちらかといえば暗く大人びたイメージの少女でした。

私は初対面の双方の役員の紹介の際に、もはや目を逸らせないほど端正で美しい彼女の伏し目がちな表情の虜になってしまい、それからはもう寝ても覚めても彼女への抑えきれない感情に支配されてしまう日々が続きました。

男子校であったことを差し引いても、私は異性に関しては相当な晩熟(おくて)でした。それまで異性との交際経験もなければ、見ず知らずの通りすがりの女性に対してすらも異様に意識をして顔を紅潮させてしまうほど、その頃唐突に訪れた性の目覚めの時期を、際限のない妄想と持て余す急速なフィジカルな成長に翻弄される日々を過ごしていたのです。(続く)


2002.11.17

たかがパソコン、されどパソコンVol.20(Business & Life共通)

目指すところのライフスタイル具現化のために、私が常日頃心がけているポリシーのいくつかを以下に列挙してみます。

1 競争社会から協調社会に移行する国際社会におけるグローバルな視点を持ち続けること

2 すべての結果を、次の結果に至るある一つの過程として認識することで、失敗を恐れず成功にも満足しないこと。但し同じ失敗は二度と繰り返さない

3 ビジネスの上では、顧客の完全な満足を目指し、成功報酬を原則とする

4 モノを売らず、情報あるいはサービスを、ひいては自分自身を売るビジネスの構築

5 固定クライアントあるいはインターミディエイトクライアントに依存をせず、広く限定しないエンドユーザーとの直接取引を目指す

6 一個人としての生活基準に基づいた最小限の投資と、相対基準に依らない絶対基準に依る価格の設定

7 口頭に依らず、文書に依る報告・連絡・相談により、情報の正確さの維持と記録保存を怠らない

1〜3は基本的事柄ですが、4〜7は私にとってまさにパソコンならびにインターネットの存在によって初めて可能たらしめられる事柄です。(続く)


2002.11.15

四十にして立てるか・・・Vol.6

中学校に入る際にも、当時まだ地元の公立中学は男子全員丸刈りというのがどうしても許容できず、中学・高校6年一括教育の私立中学に入試をしてまで入学し、片道約2時間を要する遠距離通学をしていました。

中学に入っても、小学校からの延長での私のリーダーシップにはさらに磨きがかかり、それは中学三年の生徒会長になった頃まで続いていきました。両親や親戚、近所の人々、友人や教師など、誰からも一目を置かれる存在でした。

当時既に私にはどこそこの進学高校に転学して、またどこそこの然るべき大学に入り、外交官になって・・・云々などという人生設計のイメージが固まっていて、周囲もそれを支援してくれるような環境も整っていました。

そんなそれまでの優等生としての周囲の期待に応えるような15年間を、ことごとく一新してしまうような出来事が突然起こります。それは、ある一人の少女との出会いでした。それからの私の人生を決定付けてしまうかのような彼女との私にとっては初恋、彼女自身に対してももちろんのこと、正確には彼女のお兄さんという絶対的な存在からも語り尽くせない大きな影響を受けることになりました。(続く)


2002.11.14

巡る巡る・・・ Vol.25

成田からのライナーで新宿の雑踏に立った時には、眩暈を起こしてその場に倒れ込んでしまいそうな虚脱感に包まれた感覚を今でもよく覚えています。

世界は広く、様々な人達が様々な価値観により様々なスタイルで暮らしています。そしてそれぞれの様々な人々の在り様が交錯し重なり、時を経て伝統となり、様々な文化と社会を創り、やがてたくさんの国家を形成していきます。

多くの人々の在り様が長い時を経て蓄積され生まれた文化や社会には、相応の絶対的かつ圧倒的な存在感の重みがあります。歴史的な建造物など物質的遺産や伝統的な風習も、そしてそれぞれの国の現状の常識も、長い間の多くの人々の試行錯誤の積み重ねによって形成されてきたわけですから、いつの時代にもどの国においても新しい価値観を創造していくことは並大抵のことではありません。

ともすれば常識の枠に完全に囚われてしまい、日常の生活に埋没してしまいがちな自我という窮極の個性と正反する第三者ひいては社会との調和をはかっていくことは、人生の目的と言えるほどなかなかに困難なものです。(続く)


2002.11.12

たかがパソコン、されどパソコンVol.19(Business & Life共通)

そんな当時今となればまったりとした日々のネット環境の恩恵を享受しつつ、私は現在のような生活と仕事のスタイルの確立を思い描き始めたのでした。

一言で言うならば、それは時間と場所に左右されずに暮らしていくスタイル、つまり現在のパーマネントトラベラー(終身旅行者)としての何物にも属さず何者にもならず窮極的には何もしないというライフスタイルです。

正確に言えば、限定したいかなる社会や組織にも属さず、何らかある一定の職業にも就かないで、強制されるあらゆる制約を排除しつつ自己の実現を模索し、主体的かつ積極的にそしてグローバルに生きる術を創り上げるということですし、それはインターネットによって初めて可能たらしめられるものなのです。

私は、二十歳代後半で初めて自ら起業し、その後結果的に大きな失敗をしてしまったその一連の経験とその後の事業再建の過程において、現在もなお日々構築しつつある前述のような自らが目指すスタイルの必要性を強く認識し続けてきました。(続く)


2002.11.11

巡る巡る・・・ Vol.24

その村の撮影も一つの大きな目的でしたから相応の撮影機材を持ち込んではいたのですが、結局私は滞在中にただの一度もレリーズを切ることはありませんでした。何と馬鹿馬鹿しくつまらない行為かと感じていたからでした。

私達の社会の感覚からすれば何もない、そこにはただ人々と日々の暮らし、そして大自然が存在するだけでした。

最初の数日は様々な思索にふけったりもしたのですが、そのうちにもう何も考えなくなってしまい、ただ自家製のワイン(これがまたとびきり美味いのです)やそれをまた何度か蒸留してつくる水で割ると白濁する強い酒を飲み、不恰好な素朴な味の野菜や新鮮なフルーツを食べ、湖で泳ぎ、森できのこ狩りをし、夜は時々羊を焼いて踊り、疲れ果てて降り注ぐほどの満点の星空の下で深く眠るのです。

すっかり溶け込んでしまったそんな村から街に戻り、そしてその国からトランジットを重ねて日本に戻ってくる過程は、まるで文明をタイムマシンで辿るかのような道すがらでした。(続く)


2002.11.10

たかがパソコン、されどパソコンVol.18(Business & Life共通)

私の生活と仕事のスタイルは、まさにインターネットの浸透と関連技術の進歩とともに歩み変遷を続けてきた感があります。

それにしてもハードウェアとソフトウェアの進歩は、この10年ほどの間に私が夢描いたイメージを日々具現化してくれました。

私が初めてネットにつながった際には、モデムスピードがまだ9600bpsの頃で、やがて14400bpsが登場し、そのうちに33600bpsになる頃には、随分早くなって必要充分と感じていたものです。ISDNの登場が噂になった際には、それはまるで夢のスピードに思えたものでした。

当時私が使用していたAppleのラップトップのスペックは、CPUが旧68K
からPowerPCに変わり、それ以前のモデルと比較すれば相当にスピードアップしていましたし、メモリーは48MB、HDDは1.3Gという現在のOSすらも載せられない貧弱な水準でしたが、当時における使用には必要充分、不自由さを感じたことはありませんでした。(続く)


2002.11.08

たかがパソコン、されどパソコンVol.17(Business & Life共通)

業務上の連絡については、やはりFAXを使用することになるのですが、FAXは送受信に要した時間分の国際電話料金がかかってしまいますし、連絡のボリュームが大きい場合には航空宅配便を利用しますが、それではどうしても数日のタイムラグが発生してしまうことになります。

今であれば、インターネットを通して全国紙ばかりでなく地方紙に至るまで全紙の新聞を無料で購読できますし、その他様々な有益情報を入手することもできます。また、簡単なやりとりであればメールで必要充分に、大量の書類もスキャナーでファイル化圧縮して送信すれば、瞬時に相手に伝達することが可能です。さらに、静止画はもちろん動画も、またビデオチャットすらも簡単な周辺機器とアプリケーションで可能になりましたし、それらが海外においても市内通話料金でフルに使用することができるのです。

さらに以前であれば、渡航している間の国内での家賃や公共料金などの決済についても、第三者に依頼をしていく必要がありましたが、今であれば取引銀行のネットサービスやネット専門銀行を利用して、あらゆる決済が24時間どこからでも可能になりました。(続く)


2002.11.07


たかがパソコン、されどパソコンVol.16(Business & Life共通)

海外においても、変圧器や滞在国に適応する各種プラグといったプラスアルファーの機器は必要になりますが、基本的に電話回線のあるところであればネット接続環境の確保が可能です。

プロバイダーのローミングサービスに加入して、事前に滞在予定国のアクセスポイントの電話番号を調べておくなどの付随準備は必要ですが、一昔以前の長期海外滞在の際の不便さに比較すればまさに雲泥の差、ほとんど国内にいるのと大差のないだけの様々な情報を入手できるばかりでなく、業務連絡や家族や友人との私的な通信も、簡単かつリーズナブルにできるようになりましたし、そもそもわざわざ渡航する必要性自体が大幅に減少してきているといえます。

ネットが浸透する以前の長期海外滞在時には、多くの日本人が在住しているような先進諸国ならば邦字新聞の入手も可能なのですが、大抵は数万円もの費用を支払って指定先に一日遅れで毎日届けてくれるようなサービス会社を利用することになります。英字新聞を購読しても、日本国内のニュースは非常に限られていますし、他に主体的な国内の情報入手の方法がないのですから仕方がありません。(続く)


2002.11.06


たかがパソコン、されどパソコンVol.15(Business & Life共通)

もはやフィルム銀塩カメラは、厳しいクオリティーが要求されるプリントアウトを前提とする際や商用印刷原稿としての用途以外では、めっきりと使用しなくなってしまいました。

それにネガやポジ、コンタクトプリントやオリジナルプリントなどの整理保存が必要な銀塩カメラに比較して、すべてHDD内に収まってしまうデジタルカメラには大きな優位性があります。

こんな具合いに、これまでのビジネスデータや日々進行中の案件に関するデータ、あるいは画像や参考資料など必要なデータすべてを、つまるところ自分のオフィスを丸ごと常時持ち歩いているかのような私のモバイル環境は、私の生活と仕事のスタイルを一新させてしまいました。

そのような存在になってくると、この相応に重くてかさばるはずのA4ポータブルセットが、感覚的には軽く小さなものに感じてしまうのですから不思議なものです。

私のネット接続環境としては、日頃立ち回る先には光ファイバーあるいはADSLを敷設していますし、取引先や訪問先でも、LANケーブルやモジュラーコードにより回線を借りて大抵は事足りてしまいます。(続く)

 


2002.11.05

巡る巡る・・・ Vol.23

戦前までの日本も然り、発展途上国を旅してみれば、長い時の流れのなかで営々と変わらず受け継がれてきたある意味完成された伝統的ライフスタイルを発見することができます。

そうした伝統的な社会においては、老若男女問わず同一の価値観に基づいて、それぞれの役割を分担した共同社会が出来上がっており、ルールを冒して村八分にでもされない限りは、社会から脱落する者もなければ飢える者もありません。

数十年どころか数百年もの間、営々と人々が同じ価値観による変わらぬ暮らしを続けていて、お互いを尊重し合い助け合いながら秩序正しく生活している様子を垣間見たりすると、一体何が本当の豊かさなのかと改めて考えさせられます。

以前初めての日本人として訪れたある国の片田舎の、家の中には壁もなければドアもない大きな一部屋に大家族が暮らし、電気もないランプとガスもない薪の火に川の水、山の恵みと畑の野菜、羊を放牧していくつかの家族がまるで一つの大家族のように暮らす小さな村に滞在したことがあります。(続く)


2002.11.04

四十にして立てるか・・・Vol.5

私自身になぞらえてみると、私も十五の頃初めて自らの志を立てました。

自ら言及するのもおこがましいのですが、ここではできる限り率直かつ赤裸々に・・・。

私は幼少期から周囲のリーダー格的存在でした。近所の子供達を引き連れては大人の目を盗んでは禁断の場所を探検したり、秘密の基地を作ったり・・・、誰もが同様かと思いますが、この頃は何物にも囚われず心のおもむくままに、そして持てるすべてを使い切ってその日その日を過ごしていました。

その頃から就寝前にほぼ毎晩母が枕元で様々な童話を読んでくれたことで、様々なイマジネーションが広がったり、小学校に入る頃には既に一般的な漢字も含めて習得できていましたし、内面的には幼い頃から相当にませた子供だったと思います。

小学校では6年間前期後期を通してクラス委員でしたし、6年間の学芸会では常に主役を務め、成績もほぼ常にオール5、6年の初めに一度転校したのですが、新しい学校でもすぐに中心的ポジションを獲得してしまうような可愛い気のない少年でした。(続く)


2002.11.03

たかがパソコン、されどパソコンVol.14

私は、PDAにも手書き入力アプリケーションをインストールして、手書きの手帳などと同様のアナログ感覚で使用していますが、何と言ってもパソコンと連携しているので、情報の整理や保存という意味では、紙の媒体とは雲泥の差が出てきます。必要なデータのうち、また特に必要なデイリーファイルをPDAで持ち歩けばよいのですし・・・。

最近では、ラップトップを超えてパームトップと言えるほどの小型軽量PCも登場してきているので、B5PCとPDAの組み合わせをパームトップ一台にまとめようかとも考えていましたが、やはり現状のB5PCの画面サイズの必要性やら、プロセッサーの性能などを考慮すると、まだ当面は現状の環境を維持していくつもりでいます。

外付けのほんのPDAサイズの軽量薄型HDDも40ギガバイトの容量があり、必要データの持ち歩きも、PC本体の内蔵HDDと併せて必要充分ですし、日々のバックアップメディアとしても活躍してくれています。

デジタルカメラも、本当に重宝しています。何と言っても現像が不要で、その場で見られて、誰にでもネット経由で画像が遅れるのですから・・・。(続く)


2002.11.02


たかがパソコン、されどパソコンVol.13(Business & Life共通)

仕事柄日頃私は短期出張に明け暮れていますので、宿泊日数に応じて前述のようなA4バッグ分のポータブルセットに着替えやグルーミングキットなどが加わるのですが、そのボリュームに応じてバッグの大きさを選択できるように、同一のブランドのサイズの異なるバッグ4種類を使い分けています。

実際のところ、常時携行するポータブルセットのみで、私の仕事のほぼ90%は事足りてしまっているわけですから、まさに自分自身がいるすべての場所が仕事場であるといっても過言ではないほどのモバイル環境を構築することができました。

B5PCには、LLLの最大容量バッテリーを装着するとか、省エネ設定のプロファイルをいくつか事前に設定しておくなどの措置により、フルチャージで10時間前後まで駆動時間も伸びますから、毎日眠っている間のチャージで使用中に支障をきたしたこともありません。以前の機種では、スペアバッテリーをいくつも携行していたものですが・・・。

極論電車などでの移動中において、たとえ立ったままでもPDAがあれば、充分に日常の仕事が可能です。(続く)