バックナンバー 0014
●○●第14号●○●
巡り巡ってまたふりだしに・続編3/巡り巡る・その3
→下記EPISODEが長編に及びましたので、エピソードは次号に順延させていただきます。
≪EPISODE≫
▼Series (2) 〜日常の風景〜
>file#2-9
自分を信じる人だけが救われる Vol.9
/孤高のフォトグラファーとさすらいのブルースシンガー
/かつての孤高のフォトグラファー
※自分を信じる人だけが救われる/四十にして立てるか・・・その3
は、以下のコラムとの掲載順序変更により次号以降に順延。
かつての孤高のフォトグラファー
まだ私がフォトグラファーを志して大学に通っていた頃、一年先輩にある孤高のフォトグラファーがいました。
彼は仲間と群れることもなく、物静かな少々インテリっぽい雰囲気、淡々とした存在感を漂わせた人物で、私は折に触れて目にする彼の写真作品に深く傾倒していったのでした。
彼とは直接言葉を交わしたことがあるわけでもなく、彼のほうでは私の存在をまったく知らないと思います。
私が最初に彼の存在を知ったのは、毎年大学で開かれる芸術祭でたまたま彼の作品を目にした時のことでした。
学生の全員が何らかの形で作品を出展するのですが、一通り学年を超えてすべての作品を見てまわっていた時に初めて目にした彼の作品に、その場で私は釘付けになってしまったのでした。
まさに私自身の心象風景を淡い擦りガラスを通して晒されてしまったかのような、つまり私自身の思索と感性をすっぽりと盗みとられてしまったかのような冷たく強い衝撃を感じ、それらを自ら追い求め具現化するためのあらゆる試行錯誤を重ねていた私の当時の日々を虚無にしてしまうほどに、それらは完成度の高い作品でした。
悔しいのやら腹立たしいのやら悲しいのやら、捉えどころのない様々な感情が交錯して、私は私自身を支えることができないで、その場から逃れるように誰もいない校舎の屋上の給水塔の裏に身を置いて、ただ膝を抱え込んでしまいました。
自らが具現化を目指して日々あらゆる努力を重ねてきた傍らで、それを第三者があっさりとそして鮮やかに達成している様を見せ付けられて、私は進むべき方向性や道筋を見失ってしまったのです。
私はそれ以降、彼との一方的な出会いをきっかけとして(彼は私の存在を知りませんから)、大学を中退し、結局写真の業界からもドロップアウトしてしまうことになりました。つまるところ、私が写真の世界でやりたかったことは、ほぼそれに近い形で彼が代わりに実践してくれたのでした。
芸術祭で作品を通して彼の存在を初めて知って以来、私は彼の動向を観察するのが日常の一つとなったのですが、その後折々に彼の作品に接するにつれ、私は逆立ちしても彼の才能や実力の前には足元にも及ばないという、当時としては受け入れがたい事実に打ちのめされていきました。
にもかかわらず、彼の評価は校内ではまったくといってよいほどありませんでしたし、彼は近付きがたいほど暗く冷たい性格の人物として周囲に捉えられていたようで、事実私も彼の表情の変化を見たこともなければ、話す声を聞いたことすらもありませんでした。
彼の存在と彼が創りだす映像の世界は、芸術的あるいは商業的評価の高い様々な作家達のどんな映像よりも、私の心には常に強く響きました。
もう彼の在り様に、それも彼自身はまったく預かり知らないところで私が勝手に打ちのめされてしまった時点で、私には本当はもう既に判ってはいたことだったのですが、写真の世界で身を立てていくことにいくつかの段階を踏んでいきつつふんぎりを付けることができるまでに、それからまた何年もの時を過ごしてしまうことになりました。
何と言っても彼の存在は私にとっては圧倒的なものでしたし、さらに別の二人の仲間の存在も手伝って、一人は技術的にはともかくその感性にはただ脱帽という女性、そしてもう一人は感性はオーソドックスながらも技術はピカイチという男性なのですが、それまで何より自らこそがナンバーワン&オンリーワンの存在となることを第一義としていた私にとっては、方針と方法論を転換させるに足りるだけの条件が彼らの存在によってもう揃ってしまっていたのでした。
私がそれほどまでに心酔し影響しきりの彼の作品が、当時特に仲間内でも教授達にも何ら特別な評価を受けないでいることが、私にはまったく理解できないところだったのですが、必然的に彼が一躍脚光を浴びる時が訪れました。
それは写真の業界において権威の高い二つのコンテストで、まだ在学中であったにもかかわらず、双方においてもグランプリを獲得したのでした。いずれのコンテストも、新人作家にとっての登竜門として位置付けられているばかりでなく、中堅のプロ作家達の多くも常に照準を合わせているような、文学の世界でいえば芥川賞と直木賞に相当する快挙といえます。
この二つのコンテストから頭角を現してその後活躍を続けるフォトグラファー達は枚挙にいとまがありませんし、彼の名前と独特な作風もこれらの受賞により業界に広く知れ渡りました。
しかし、受賞後の彼は、いわばその将来を約束されたような商業写真家としての道を歩まず、それまでの彼の路線の延長上にある独自の写真作家としての道を選択したのです。その作風だけでなく、ライフスタイルにおいても、またも彼は期せずして私の理想を代わって具現化してみせてくれたのでした。
そんなスタイルで生計を立てることができている先人を少なくとも私は知りませんでしたし、大きな勇気を持っての決断であったのか、あるいは生活の不安などまったくないほど富裕な家庭に育ったのかなど、私には事情は知る由もありませんが、ともかく彼は写真集を出版したり、写真展を開いてはオリジナルプリントを販売するといったような方向性に進み、その後も時折発表する作品で私に静かな感動を与えてくれつつ、これまでそのスタイルを護り続けてきていたのです。ところが・・・です。
先日また久しぶりに彼の新しい写真展の告知を見つけたので、見落してはと予定を調整していそいそと出かけていったのです。
その老舗のギャラリーは、まだ学生だった頃には時折訪れたことがあったのですが、私にはほぼ20年ぶりの懐かしいところでした。
また彼らしい渋いギャラリーを選んだものだと妙に納得してしまいつつ、旧友に再会するかのような静かな期待を胸に出かけていったのですが、そこはもう旧知の場所からは移転してしまっていました。
あらためてネットで移転先を確かめ、とは言っても歩いていける近くだったのですが、移転したというのですから新しい小奇麗なところかと思いきや、以前に負けず劣らず老朽化した見落して通り過ぎてしまいそうなビルにあり、もはやこれもギャラリーのオーナーの趣味嗜好なのであろうかと、思わず私は苦笑してしまいました。
三人がやっとかと思えるような小さなエレベーターでフロアーに降りると、たった一部屋のこじんまりとしたギャラリーいっぱいに彼のモノクロームの作品が掲げられていました。
一つ一つ順々に彼の作品を見ていきながら、私の胸の内に高揚し続けていた期待感は急速に落胆へと変わっていき、何とも表現しがたい深い失望感でいっぱいになってしまいました。
いつもの彼のタッチだと言えばそう言えなくもありませんし、テクニックやプリントのクオリティーなどのうえでもしっかりしていると言えばしているのです。彼以外の作家の作品であったとしたならば、それなりに納得できてしまったのかもしれません。一律1カット12万円と入り口に価格表示がされていましたが、おそらくは購入する人も少なくはないのでしょう。しかし、悲しきかなそれらは、私の感性には何も伝わってはこない、どこにでもある駄作の羅列にしか過ぎませんでした。
どうしてこんな作品であの彼が写真展を開けてしまうのであろうか、私にはまったく理解ができませんでした。もちろん彼に限らず作品の出来不出来というのは、どんな作家にもあることです。そもそも1号あたりいくらなどと作品の価格を決めてしまうような絵画の世界の仕組みなどは常々ナンセンスと感じてもいます。それにしても、それらの彼の作品と私が知るところの彼のこれまでの在り様とがまったく結び付かず、それ以上理由を探し続けること自体も限りなく不愉快に感じられ、私はそのままギャラリーを後にしてしまったのです。
私にとっては一つの大きな心の拠り所にもなっていた彼という存在がまた一つ静かに消失した虚無感に包まれながら、照りつける夏の日差しと蒸し返す熱気の中をぼんやりと駅に向かって歩きながら、遠く過ぎ去った日々の中で、夏の夜の蛍の光が消えゆくが如くこれまで失い続けてきた私の心の琴線を震わせてくれた人達を漠然と想い返していました。
研ぎ澄まされたシャープなそしてアグレッシブであった感性の持ち主達のどれほど多くが、いたずらに時を過ごすうちに、そして世俗の塵埃にまみれていく過程で、その輝きを失い、そのかけがえのない感性を錆びつかせ、朽ち果てていってしまったことでしょう。
私が出会い影響を受けた様々な優れたアーティスト達の多くは、日常の生活に埋没し、平穏な日々や将来への安定と、あるいは生計を立てるために、もしくは富や名声を追及していくこととそのかけがえのない個性や才能を引き替えにしてしまったのでした。
勿論私は彼らを責めているわけではありません。ただ失望を重ねる過程において、如何に真の絶対的価値を創造することが困難であるか、ましてやさらにそれを持続していくことなど至難の業に等しいという現実に、出会った彼らの数だけ接してきたからです。
今回のかつての弧高のフォトグラファーについても、長い間見つめ続けてきただけに失望の度合いもそれだけ大きかったということは否定できませんが、まあそれでも脱落してしまった相手に対しては<ああ、またおまえもか・・・>という諦めのため息だけが残るだけのことであって、もう私もすっかりと慣れっ子になってしまいました。
もちろんこれは、WHO AND WHERE IS THE VERY TRUE ARTIST FROM MY POINT OF VIEW?という特異な、そして私の独断と偏見に満ちた視点からの判断によるものであって、決して人間性や方法論など彼らの在り様を否定するものではありません。あくまで私の心の琴線がどれほど震えるかという単純に私の好き嫌いの基準と言っても過言ではなく、それを相手に伝えるわけでもない、言わば思想の自由という誰にでも与えられた当然の権利の一つですし、何より相手にとっては預かり知ることすらない赤の他人である私の心の中の出来事に過ぎないのです。
同じものを見ても、人それぞれ感じ方は異なります。それでも完成度の高いアートワークであればあるほど、多くの人達に共通の印象を与えることができるでしょうし、それが本当の意味で価値があることであるのかどうかは別にしても、少なくともそうした作品が社会的あるいは歴史的評価を受けることは否定できません。またそういう意味では、たとえ私一人の心の動きであるに過ぎないとは言え、多くの鑑賞者と共有することにつながっていくかもしれないある一つの確固たる印象であることもまた否定できない事実なのです。
第15号
▼Series (2) 〜日常の風景〜
>file#2-10
自分を信じる人だけが救われる Vol.10
/孤高のフォトグラファーとさすらいのブルースシンガー
/孤高のフォトグラファー・その2
に続く