home  ›› mindshooting essays  ›› what's cool life!?  ›› 0017

MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Life!?-

バックナンバー 0017

●○●第17号●○●


巡り巡ってまたふりだしに・続編3/巡り巡る・その3


→下記EPISODEが長編に及びましたので、エピソードは次号に順延させていただきます。


≪EPISODE≫

 ▼Series (2)  〜日常の風景〜       
  >file#2-12
  自分を信じる人だけが救われる Vol.12
  /孤高のフォトグラファーとさすらいのブルースシンガー
  /さすらいのブルースシンガー・その2


さすらいのブルースシンガー・その2

いやはや・・・、それはそれは筆舌に尽くし難いたいへんなクレイジーナイトでした。

20:00から始まるはずのライブ会場に私達が着いたのが少し前、私達の前にはまだカップルが一組だけで、近くに住んでいる彼女も一度も入ったこともないようなマイナー?な会場でしたし、私達との二組だけなのかと思いきや、時間を過ぎても一向にライブが始まる気配はありませんでした。

常連らしいそのカップルと、さすらいのブルースシンガーとは旧知の彼女が、お互いの自己紹介も兼ねた共通項での談笑しているうちに、20:30を過ぎた頃から勝手知ったるという雰囲気で、常連客を中心にぞろぞろと会場に入りはじめ、気付けば小さな会場でしたが何時の間にか満員状態、最前列の客とさすらいのブルースシンガーとの距離もほんの1メートル足らずというほどの盛況ぶりでした。

その夜は、さすらいのブルースシンガーのソロ、ギターの弾き語りでした。その夜のナンバーは昨年のライブに比較すればずっと若い客層向けなのでしょうか、次々とポップなナンバーが続きましたが、中には蕎麦打ち一筋何十年の未だ現役老人や、さすらいのブルースシンガーが最近贔屓にしているらしい焼き鳥屋一家などという高齢の客もいましたから、往年のスタンダードナンバーもところどころに組み入れながら、いきなりテンションの高いパフォーマンスが繰り広げられ、長〜いファンキーな夜がスタートしたのでした。

さすらいのブルースシンガーのパフォーマンスは、30分前後続いては30分前後休みというペースで延々と繰り広げられていきました。

インターバルの間に、聴衆はもちろんのこと本人もアルコールが入ってどんどんヒートアップしていくのです。前回のライブの時も同様でしたが、アルコールが入って顔に赤みがさしてくるくらいの方が、素面(シラフ)の時よりもギターもボーカルもぐっとその艶とパワフルさを増していくのです。

こんな小さなライブハウスではよくあることなのかもしれませんが、インターバルの間にはさすらいのブルースシンガーも客と一緒になって呑み語り合っているという距離がまったくないのですから、時間が流れるにつれて一体感も増していきました。

途中三回目のパフォーマンスから店のマスターのリード&サイドエレキギターとのセッションになったのですが、またこのマスターのギターテクニックの達者なこと・・・、そしてまたさすらいのブルースシンガーとの息もどうしてここまでと驚いてしまうほどにピッタリと合っているのです。

後から判ったことですが、この会場では数ヶ月毎にコンスタントなさすらいのブルースシンガーのライブがあるとのことで、本人達にしてみれば勝手知ったるところだったのですが、あまりにレベルの高いセッションのインパクトは大きく、ぐいぐいと引き込まれていくうちにあっという間に時は深夜を回ってしまっていたのでした。

その頃にはもう慣れない高齢者達は帰ってしまっていて、ともすれば私が最も年配者だったかもしれません。もちろん最長老のさすらいのブルースシンガー本人を除いてのことであることは言うまでもありませんが・・・。

やがて最終電車間際になって、また新しい常連達がぞろぞろとやってきました。彼らがライブが続いていることに驚いていましたから、いつもこんなパターンであるわけではなさそうでした。

彼等は同業のシンガーソングライターで、どこかで自らのライブを済ませてからやってきた人物であったり、専業ではまだ生計が立てられないのでしょうか、仕事を終らせてからやってきた人物であったりで、もうそこからは推して知るべし、飛び入りボーカルから始まって、さすらいのブルースシンガーのインターバル時には、彼等のミニコンサートになってしまったり、またそこに店のマスターや常連客の腕に覚えのある人達が加わったりと、また気付けば同じテーブルにさすらいのブルースシンガーがすっかりと腰を落ち着けて観客に変わってしまっていたりと、もう何が何だか何でもいいや状態で、その頃には時計はもう2:00AMを回ってしまっていたのでした。

もうすっかりとライブジャックされてしまっていたので、彼女がもう唄わないのかと尋ねたところ、さすらいのブルースシンガー曰く、翌日というよりももうその当日のまた別の野外ライブに備えてセーブしているのだとのこと・・・、この状況もまったく観客に感じさせないところでの計算づくな周到さや、連夜のライブにもかかわらず事実上単独での4回にもわたるパワフルなパフォーマンスに感心するやら呆れるやら、何といってもさすらいのブルースシンガーはもう50歳をとうに超えているのです。

こんな機会でもなければなかなか私が出会うこともないであろう人達、それはお互い様で相手の側にとってもあてはまることでしょうが、彼等に共通しているのは心底歌が好きだということ、唄うために毎日があり、そして唄うために如何なる犠牲も払えるということなのだろうという気がしました。

私が以前に出会ったこれに似た印象を感じた人達のことを想い出しました。エーゲ海沿いのあるリゾート地で知り合った地元のサーファー達のことです。彼等の興味の対象はまさにサーフィンのみ、波の上以外の人生のすべては波に乗るための手段としてのみ存在しているのです。そんな自らの在り様や将来を思い悩むでもなく、ただひたすらに波を追いかけていた連中のことでした。

経済的安定という私達の国においてはごく常識的な発想が、いかに世界全体においては大多数の人々にとって追い求めるどころか発想することもできないほどの非常識的概念であるのかという事実を、私はこれまで世界を旅してつくづく実感しています。

経済的安定・・・、世界の常識の基準からはまさに奇跡の業と言っても過言ではない私達の国の戦後の高度経済成長、そして私達にとってももはや過ぎ去りし古き良き?時代の遺物であるところの終身雇用制度、年功序列や護送船団式事業推進、企業至上主義などという強者と勝者の論理による過去の幻影からの産物として、また自由と自立を放棄し、そして強者と勝者あるいは彼等の論理により構築された組織や社会への従属と依存に甘んじることへの代償として、この希有な世界の非常識的発想が生まれたのです。

つまるところ安定と自由は反対語であり、安定を指向するということはそれだけ束縛の度合いが高まるということに他なりません。

手に入れたものや築き上げたものが大きければ大きいほどに、人の執着心や安定指向は高まっていくものですし、人が自由を手に入れることは非常に困難なことなのです。さらに私達の国では自らが自由でないことに気付いてもいない人達が大多数であるという、一億総白痴化が社会に広く深く浸透してしまっているのです。

以前私が一般輸出入業務を生業にする会社を経営していた頃、アメリカ人社員の一人が何気なく私に言いました。「みんな明日の棲家や今夜の食事の心配をしながら生きている・・・」当時の私には彼のその唐突な言葉が思いがけなく、あまり合点もいかなかったのですが、近頃ではつくづくそのとおりだと思えるようになりました。

よく取り沙汰されることですが、外国人は自らをさらに高く評価してくれる企業を求めて転々とリクルートを重ねるのがごく一般的ですし、日本国内においても外資系の企業では、ある日突然荷物をまとめての集合指示があり、その場で解雇が通達されるなどということも珍しくはありません。つまりもともと依存や従属あるいは安定や保証といったような概念を、雇用する側もされる側も持ち合わせてはいないのですし、これが世界のスタンダーズ(=標準)であって、私達の国の常識はマイノリティー(=少数派)であるといえます。

私達の圧倒的多数は物事の本質を理解認識することすらできず、政財界のリーダー達をはじめとする勝者や強者は、自らの立場や既得権を擁護するために、本質を熟知していても知らない気付かないふりをし続け、事態の解決はおろか問題提起すらも先送りをし続け、あらゆるツケを未来の世代に回して私利私欲の追求に勤しむばかりです。公正さと公平さが欠落してしまった、そして一人一人の私達個人が自尊心を放棄してしまった、その結果思いやりや愛が日々失われつつある・・・、悲しきかなそれが私達の社会の昨今の実情なのです。

多くの人々が自らそれぞれの夢や希望を描くこともできないばかりか、そもそも描こうとすらもしない・・・、

主体性や積極性は日々退化し、個性が消失して画一性に満ち満ち・・・、

さらに強者や勝者という既得権者は変革を拒み、彼等や彼等によって造られた組織や体制に依存従属してしまうことで自由の放棄と引き換えに安定あるいは保証という幻想を追い続ける・・・、

それどころか、さらなる弱者や敗者を否定排斥することでしか自らの存在価値を認識する術を知らない・・・、

私達の多くは、そんな私達の社会の世知辛く閉塞的で未来への希望や可能性に乏しい悲しき実情を意識したり、あるいは無意識のうちにも感じ取ったりしているからこそ、また充実感や幸福感が欠落した日常生活に埋没してしまっているからこそ、さすらいのブルースシンガーやファンキーな仲間達のような自らに肯定的で開放的な在り様に心動かされるのでしょう。

すっかりと常連達にライブをジャックされてしまった状態になっていましたし、さすらいのブルースシンガーももう唄わないとのことでしたから、私達も3:00を回ったあたりで店を後にしたのでした。何とその店に私達は7時間以上もいたことになります。

後日聞き及んだことですが、結局連中達はその夜を徹して呑めや唄えやの大騒ぎ、さすらいのブルースシンガーも帰宅の途についたのは、もう夜が明けてしまってからだったとのことでした。

週末でしたから連中がそのまま休めたのかどうかは判りませんが、さすらいのブルースシンガーは、その日の夕方の野外ライブがあったわけですし、移動の時間も考えればいくらも休めなかったことと思います。いつもこんな調子ではないと思いますが、彼のタフさ加減にはつくづく脱帽です。

それにしても連中の心底歌が好きな度合いもここまでくれば、もはや第三者の理解や許容の有無など何処吹く風、その夜のその店という世俗から隔絶した世界において、大人達があれほどまでに自らを開放する光景を目の当たりにしたことは、私には驚嘆に値する経験でした。

その夜以来、前を度々通りかかってもそのライブハウスが開いているのを見たためしがありませんでしたから、たまたまのことなのかと思っていたところ、聞くところによればその店は22:00開店なのだそうです。ヨーロッパではさほど珍しいことではないのですが、そんな日本ではあまり見かけない営業のスタイルも、店のオーナー夫婦のライフスタイルを維持していくにはそれで事足りているのでしょう。

店のウェブサイトも覗いてみましたが、肩の凝らない実用的なサイトでありながらもなかなかお洒落なデザインでしたし、形式だけのサイトが多い中常連客とのやりとりも活発で、サイトも日常的に機能している様子でした。ライブ当日にも集まっていた常連客達が個々に運営している個性溢れるサイトへのリンクもあって興味深くも楽しめました。

仕事仲間の彼女もライブの夜以来さすらいのブルースシンガーとの旧交が復活した様子で、それから時々彼と呑みに出かけているようです。その度にわざわざ選んでというわけでもないのでしょうが、彼が案内してくれた店というのは、常連客でないと店とは判らないようなこじんまりとした小料理屋や昔置屋だった廃屋かと見間違えるような老朽化した建物をそのまま利用しての居酒屋であったりと、彼女には非日常的な体験だったようです。

それにしてもさすらいのブルースシンガー本人はもちろんのこと、彼を取り巻く仲間達も力むこともなく実に楽しげに日々を過ごしているように見受けられます。実際のところはそれなりにたいへんなことも多々あるのでしょうが、そうした日常の俗事を表に出すことなく自由闊達飄飄たる彼等の生き様は、その方向性やスタイルこそ異なれども、私には微笑ましく共感を覚えますし、おそらくそれはその夜ライブに集まった人々にとっても同様なのであろうと思われます。

聞けばさすらいのブルースシンガーは、私生活においては二人の奥さんに愛想をつかされ逃げられ、もはや現在の共に暮らす女性とも結婚の予定もないとのことでした。仕事の上ではライブの営業から経理まですべて自ら一人で行っているのだそうです。

ライブハウスのオーナーは、白く長い髭で覆われた顔の仙人のような風体で、見かけは遊び半分であたかも自ら様々なミュージシャン達とセッションをするために店を開いているかのような雰囲気です。店に置いたウッドベースにはさりげなくロン・カーターのサインが残っていたりなどと、そうしたメジャーどころも時折来店する様子ですし・・・。

ライブジャックで沖縄民謡を切々と謳い上げた国立芸大出の若手シンガーソングライターは、奥さんの収入に頼る主夫とのこと。

他所での自らのライブを終了してからやってきたこれまた極端に灰(あく)の強い濁声(だみごえ)のシンガーソングライターは・・・・・、キリがありませんが、皆あまり自慢できるような状況にはない、よくも皆それで暮らしていけるものだと呆れ半分つくづく感心してしまうような連中が揃っているのです。

また唄う側だけでなく、聴く側にも個性的で創造的な人物達が揃っていたことがとても印象的でした。

ライブのインターバルの間にあちらこちらでは、なかなかに興味深く趣のあるそして妙に納得させられる様々な会話が交わされていました。

早い時間に中座してしまっていたさすらいのブルースシンガーが贔屓にしているというその近所の焼き鳥屋には私も後日出かけたのですが、提灯が出ていなければ古い一般民家のような、一見(いちげん)の客ではなかなか入りづらい雰囲気の小さなその店の新鮮な素材によるシンプルながら奥行きのある味わい、そして何より良心価格の焼き鳥は、なかなかにアーティスティックな一品でした。

また、以来機会がなくまだ出かけていませんが、わざわざタクシーでやってきた一徹そうな老人がもう半世紀以上にもわたり真心を込めて打ち続けているという蕎麦も、是非とも近々味わってみたいものだと思います。

類は友を呼ぶのでしょう、そのライブに集まった人達には一つの共通項がありました。それは、皆がそれぞれの分野における何らかのアーティスティックな創り手であり、そして皆が個々の仕事に自信と誇りを持って取り組んでいるということでした。

ミュージシャンに限らずそうした様々な分野の誇り高きプロフェッショナル達が彼のライブに友好的に集うのも、やはりその中心となるさすらいのブルースシンガーの突出して明るく楽しいそして誇り高い在り様に牽引されてのことでしょう。

今回のライブハウスにだけでなく、彼の活動する様々な地域の様々なスペースに、こうした同様の様々な街のアーティスト達が集う小さなコミュニティーがいくつも存在するであろうことも推して知るべしと考えれば、彼の存在の大きさと彼のこれまでの日々の蓄積の絶対的価値は、実のところは非常に高い水準にあると私には思えるのです。

 

 

第17号
 ▼Series (2)  〜日常の風景〜
  >file#2-12
  自分を信じる人だけが救われる Vol.12
  /孤高のフォトグラファーとさすらいのブルースシンガー
  /さすらいのブルースシンガー・その2
                      に続く

 

CoolShot #17/ 2003.09.14
Title / To Where Are We Going?

‹‹ prev next ››