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MINDSHOOTING ESSAYS -What's Cool Life!?-

バックナンバー 0019

●○●第19号●○●


巡り巡ってまたふりだしに・続編3/巡り巡る・その3


好きこそ物の上手なれの幸運な状況であれば何ら問題はないのですが、自らが好きなことと得意なことは異なる場合が多いにもかかわらず、人は自らが得意なことを好きなことだと思い込もうとしてしまいがちです。下手の横好きという言葉もあるように、好きなことと得意なこととの間には実はまったく関連性はありません。

相手にまず好かれていることを確認しないと恋愛を始められない人も多く見受けられます。自らが相手を好きになることと、相手が自らを好きになってくれることとの間にも、また何らの関連性もないのです。どんなに相手に嫌われようとも自分が好きなものは好き、逆にどんなに好かれても嫌いなものは嫌いという本来の自然なケースは、ごく日常的にいくらでも見受けられます。

私も幼い頃そうだったのですが、両親や先生や友人などが認めてくれることが、まずは必然的に得意なことであり、そして同時に楽しいことであり、結局好きなことと思い込んでしまっていたものです。

第三者の視点に迎合してしまう客体的価値基準、あるいは迎合はせずとも常識や社会の仕組みなどと自らとの相対的な価値基準に順じていたのでは、決して自らの本質と向き合うこともできませんから、自らを救うことなどできようはずもありません。

周囲の評価やら良識や常識などといった客体的あるいは相対的価値基準の一切を否定するわけでは決してありませんが、何よりまずは好きか嫌いか、楽しいかつまらないか、心地良いか不快かといった自らの内に沸き起こる感情に真っ直ぐに向き合うことから始めていくことが、実は最も基本的かつ重要なことなのです。

ー見些細な事柄にしか感じられないかもしれませんが、冷静かつ客観的に考えれば、私達の日常ひいては人生とは、些細な事柄や日々のありふれた小さな出来事の積み重ね以外の何物でもありません。

したがって何らか目標に向かう場合に、最初の入口の扉を間違えてしまえば、所詮は昇ろうとする山が間違っているのですから、決して本来の目標=頂上に辿り着くことはできませんし、永々と堂々巡りを続けていなければならなくなってしまいます。

最初の入口のどの扉を開けて中に入り歩み出すべきなのか、その正しい唯一の答えは自分自身に尋ねるほかはありません。第三者や社会の客体的あるいは相対的価値基準に惑わされず、自らの内にある絶対的価値基準に忠実に順ずることが何より重要であると私は確信しています。

日常生活の上での好き嫌い、楽しいつまらないといった素直な自らの感情と正対することから始めて、それまでに培ってきた知識や経験を付加していきながら、自らの主義や価値観と照らして認識、分析、考察、判断、実行の淡々とした繰返し、反省はしても後悔はしないという、そんな個人差によらない誰にとってもごく当たり前の生活の在り様こそが、私達がまずは自らを救い、ひいては世界を救う第一歩に他ならないのです。

自らを救うこと、それは前号までの”かつての孤高のフォトグラファーとさすらいのブルースシンガー”においても言及した内容につながっていきますし、この”What's Cool!?”サイトにおける一貫したテーマの一つの柱でもあります。

私達一人一人がまずはそれぞれに個々を救おうとしていく過程で、取り巻く第三者や社会の在り様をあるがままに肯定的に許容することがまずは不可欠であることに気付くことができて、自らの価値基準に沿う存在とは積極的に深く、相容れない存在とはお互いに侵害し合わないという消極的に浅く関わることで、すべての存在の在り様を相互に尊重し合うことができれば、世界に真の平和をもたらすことができるでしょう。

そして、人は誰もそして世界も日々巡り巡るなかでも、私達一人一人が始まりと過程と完結における同一性と継続性を知ることができれば、いつどんな時にもどんな状況にあろうとも、自らを心から愛しむことができる真の幸福を手に入れることができるのです。


≪EPISODE≫

▼Series (2)  〜日常の風景〜
File #2-14
自分を信じる人だけが救われる Vol.14
/四十にして立てるか・・・その3


私が彼女に最後に会ったのは、私達が二十一歳の春のことでした。

私は東京の大学彼女は地元の短大に進学して以来その日まで、私達は一度も会ったことがなかったのです。

少なくとも私の側では彼女のことを想わない日は一日たりともありませんでしたから、時々私は彼女に宛てて一方的に長い手紙を書いたり、クリスマスカードや年賀状を送ったりしていました。例によって彼女からは何らの音沙汰もありませんでしたが、私もそれで満足してしまってもいたのです。

彼女は私にとっては特別な存在でしたし、東京ではごく日常的な女友達や中には深い関係になる女性もありましたが、私の気持ちの上での彼女の存在が希薄になるわけではなく、次第に何か心の奥底に常に静かに横たわるような平坦なそして重厚な存在になりつつありました。

そんなある日アルバイト先から帰宅すると、ドアーポストから夕刊と一緒に床に落ちてしまっていた彼女からの手紙を見つけたのです。

私が彼女から貰った最初で最後のその手紙は、淡いブルーの無地の揃いの封筒と便箋で、大きめの便箋の中央に懐かしい彼女の几帳面な性格が伝わってくる楷書体の文字が整然と並んでいました。

「来週末に上京します。お会いできれば嬉しく思います。土曜の午後三時以降に、帝国ホテルのロビーアシスタントマネージャーデスクから伝言をお受け取りください」

たったそれだけの文面でした。濃いブルーのインクで書かれた文字と罫線もない淡いブルーの便箋とのコントラストがとても美しく、たおやかな胸に抱かれて彼女の存在を強く感じたあの日の、私を優しく見つめる瞳の深い静けさと安らかな広がりに包まれているような気がしました。

翌週末、はやる気持ちを迎えきれずに帝国ホテルに私が着いたのは、まだ14:00を少し回ったばかりで、約束の時間まではまだ小一時間ほどありました。

ロビーラウンジが週末のためかかなり混んでいたこともあって、私はアシスタントマネージャーデスクから少し離れたエントランス近くの大きな柱にもたれかかりながら、奥に続くショッピングアーケードからエントランスを行き交う様々な国の大勢の人達をぼんやりと眺めつつ、彼女と共有した様々な場面を想い起こしながら感傷的な気分に浸っているうちにすぐに時間は過ぎていきました。

私の脇を通りすぎるベルキャプテンの女性の右手にふと目をとめると、彼女が手にしていたそれはあの印象的な淡いブルーの封筒でした。背の高い外国人の彼女は、颯爽と真っ直にアシスタントマネージャーズデスクに向かい、黒眼鏡で白髪混じりの初老のマネージャーに一言二言告げるとその封筒を手渡していきました。

すぐに受け取りにいきたい衝動に駆られましたが、約束の時間にはまだ少し時間がありましたから、そのまま落ち着かない気持ちのまま待ち続け、約束の15:00を数分過ぎたところで私はおもむろにアシスタントマネージャーズデスクに向かいました。

高鳴る気持ちを抑えつつ封を切ると、やはりあの濃いブルーのインクでたった一行、「1007号室でお待ちしています」と書かれていたのです。

チャイムをコールすると静かにゆっくりとドアーが開いて、そこには彼女が私には懐かしさすら感じさせる優しい微笑みを湛えて立っていました。

高鳴っていた私の胸の鼓動がふっと収まっていき、そしてそのまま彼女が持つたおかな安らぎのベールに包まれていく気がしました。

それから私達は、無言のまま向かい合わせのソファーに腰をおろして、ただお互いを見つめ合ったままでいたのですが、しばらくすると彼女がゆっくりと立ち上がって近付いてくると、私の手をとってベッドへいざなったのです。

私はまったくそうした事態を予期していなかったので、やはり動揺は隠せませんでしたが、ベッドに仰向けにさせた私に彼女が覆いかぶさって、その柔らかな優しく微笑む唇をそっと重ねてきた時には、もはや私は思考を放棄させられてしまっていました。

それからはたかまりとまどろみとけだるさの永々とした繰り返しでしたが、不思議と私達は情欲的に交わるわけではなく、一緒に眠りにつくかのようにゆったりと漂いながらただお互いの存在を深く感じつつ、溶け合って一つになっていくかのような安らかさの中で、まるで流れが止まってしまったかのような静かな時を過ごしました。

ふと気付いた時には、もう日が暮れて窓の外は暗くなってしまっていました。彼女がそっと私の腕の中から抜け出してバスルームに消えたことで、私は目覚めるかのように現実に戻ってきました。静かな雨音のような彼女の使うシャワーの音を遠くに聞きながら、思いもかけなかったこの展開をどのように認識すればよいのかとあれこれ思いを巡らせましたが、そんなどれもこれもが不自然で的外れにしか感じられませんでした。

シャワーの音が止んだので、私もとベッドから起き上がろうとして目をやると、また思いがけない光景に私は固まってしまいました。シーツの中は、私の下半身も含めて、彼女の純潔の証で一面赤く染まっていたのでした。しばしまた呆然としてしまいましたが、ローブをまといピローの下にお詫びの紙幣を置いてベッドを整えるとそこに彼女がバスルームから出て来たので、そのまま私は何事もなかったかのように彼女と入れ替わりでバスルームに入りました。

これからどうすればいいのか・・・、私はシャワーも使わないままに事に及んだのか・・・、彼女が自らの痕跡に気付かないわけがないだろう・・・、などと様々な断片的な思いを頭の中に巡らせながら身体を洗いバスルームを出ると、すでに身繕いを済ませた彼女が窓際に立って外の夜の街並みを眺めていました。

「おなかすいたね・・・」独り言のようにつぶやくかのようなそれが、私達が再会して以来この数時間で彼女の口をついて出た最初の言葉でした。

私も身繕いをしながら、何故か彼女が話すまでは口をきかないほうがいいように感じていましたので、やはりほっとしました。とは言っても、それまで私から何か口に出すだけの何らの必然性もありはしなかったのですが・・・。「そうだね、外に出てどこかでを食事しようよ」

ロビーにおりると、「少し待ってて」と、彼女がそのままフロントに歩いていったので、キーを預けるのかと思えばチェックアウトをしてしまいました。荷物も小さなトート一つでしたし、また状況がよく把握できないでいると、彼女はエントランスで客待ちをしていたタクシーにそのまま乗り込んでしまいました。私も急いで後に続いて同乗したことは言うまでもありません。

タクシーに乗り込むと彼女は運転手に行き先を告げました。「東京駅までお願いします」

しばらくすると、彼女がまた独り言のようにつぶやくような声で、前方を見つめたままぽつぽつと話し始めたのです。

「私ね、来月結婚することになったの。パパが勧める部下の人なんだけど・・・」

「・・・・・・・・・・、・・・あのさ」

私が口を挟もうとすると、彼女が私を見つめて横にそっと首を振って制止しました。「黙って聞いて・・・」

その時はちょうど道路が渋滞していて、空いていればものの数分の距離でしたが、彼女の話を聞くに充分なだけの時間がかかりました。とはいっても結局のところ、結婚をしたい理由もなければ拒むだけの理由もないこと、そして彼女にとっての最初の相手には私がふさわしいと考えたこと、それだけを必要最小限の言葉で私に伝えただけのことでした。

それでも彼女が考えて決めたことなのですから、何らか私には伺い知れない相応の背景や経緯があるのでしょうし、そもそも私が彼女に私の考えを伝える必然性もなければ、またそれが彼女に対して何らの意味もなさないことを、私はそれまでの経験から充分に学習していましたから、当然のことのように私は彼女の話しただけの事実をそのままただ受け入れたのでした。

こうして彼女はある晴れた春の日に私に会いにきて、そして去りました。まるで一陣の春風のように私をすり抜けて、そしてそのままもう戻ることはありませんでした。

それっきり彼女とは一度も会ってもいなければ、電話はもちろん手紙をあれから数通出してはみたもののやはり音沙汰はありませんでした。

地元に戻った時に、彼女の自宅に行ってみたこともありましたが、訪ねることはしませんでした。

時々手紙を出すことすらも、憚られるような気がして、あの日から二年ほど過ぎた頃にこれで最後にする旨の手紙を送ってから、もうはや二十年以上もの月日が流れました。

私も共通の友人達とも交流がありませんから風の噂すらも届きません。あれから彼女が結婚をしたのかどうかも、どこでどんな人生を歩んでいるのかも、極論生死すらも、その後の彼女の消息については全く知る由もないのです。

それでも私にとっては、傍らで彼女の絶対的存在とその高貴な在り様に触れて感じとったあの日々の確かさは、今でも私の心の奥底にしっかりと刻み込まれています。そして私の中にこそ彼女は今なお確かに存在し続けていて、「ただ私がここにいることを感じるだけでいいのよ」という強い思念を私に送り続けているのです。

その深く柔らかな思念に包まれて、私は彼女と日々対話し続け、励まされ戒められつつ、自らにささやかなプライドを持ちうるだけの今日までの毎日を過ごしてこられたように思います。

私の人生など、第三者の視点ではとるにたらないものであっても、私は第三者のためでなく私自身のために生きているのですから、私が私自身を尊重し愛することができるか否か、そして私自身の生を救うことこそが第一義でした。

自らの納得を追い求めることは、私も類に洩れず多くの場合、満足感とはうらはらに最低限でも同じだけの、大抵ははるかに凌いでしまうだけの苦難が伴います。悲しきかな私達を取り巻く社会環境においては、自らの納得や満足感を追い求める代償は非常に高くついてしまいがちです。

個性を主張しつつも、それらが常識や習慣と相違(あいたが)えることなく、「〜七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」という孔子の境地を目指すも、その道のりははるか遠く、近付くどころか遠ざかったりと、まさにあの行進曲の「三歩進んで二歩退がる」日々を過ごしています。結果的にたとえ一歩であっても前に進んでいる実感はありますので、それでよしと考えるようにしています。

やはり彼女のお兄さんとも、私が高校を卒業して以来一度も会ってはいないばかりか、風の噂もまったく聞こえてはきません。あの頃夜毎ロフトで語り合った個性的な仲間達についても同様です。

彼女もお兄さんも仲間達も、もはや現実の存在ではなかったような、まるで本の中の架空の世界の人物達であったかのような気すらしてしまうほどに現実感が希薄なのです。もう三十年近くも前のことになってしまうのですから、当然と言えば当然なのかもしれません。

それでも、彼らの存在をきっかけとして、私はそれまでのただ生かされてきたところから私自身の人生を歩み始めたわけですし、今日の私自身の在り様に至る経緯においても様々なはかりしれなく大きな影響を受け続けてきたことも確かな事実なのです。

あの頃のロフトという隔絶した空間に身を置いている時には、世間の人々がそして当時の世界がとるにたらない低次元な存在に感じられたものですし、その時間と空間を共有していた彼らによって、その後の世界は支配されていくように錯覚してしまうほど、彼らの頭脳や能力そしてそれぞれの強烈な個性は、当時の私に大きな衝撃を与えたものでした。

彼らという圧倒的存在との最初の出会いから始まって、それ以降も私のその時々の在り様に大きく影響するような出会いがいくつかありましたが、そうして出会ったほとんどの人達は世間に埋もれていてその後の消息もしれないのです。

たまたま私を取り巻くケースに限ったことなのかもしれませんが、世間の表舞台に登場してくるのは、大抵は評価に値しないような人達に限られてしまっています。もちろん例外は、少ないながらも存在はしていますが・・・。

勿論その評価の基準は、私の独断と偏見に支配されているのですが、私が心からの感銘や実質的な影響を受けたほぼすべての人達は、ほとんど例外なく完全に世間に埋もれてしまっているのです。

そんな事実がまだ私がまったく知り及ばない面識のない人達にもあてはまるものとして、相手の社会的立場や実績あるいは第三者の評価などに囚われないで、あくまで私自身の判断基準に基づいて交流を深める相手を選び、そしてそんな出会いを大切にするように自ずとなってきた感があります。

私は四十歳を迎える時を境にして、それまでの来る者は拒まず去る者は追わずというスタンスから、大抵の者は拒み去る者は追わずというそれに大きく方針転換をしたのですが、それまでは日常的に特にビジネスの上では珍しくもなかった相手との信頼関係の崩壊も、それ以降はまったくといってよいほどなくなりました。

単純な話、私は自らを偽ってしまうことのできてしまう人達とは信頼関係を結ぶことができないのです。価値観や思想の違いは相手への興味にはなっても、何ら信頼関係の構築を阻害する要素にはなりえません。しかし、自らの絶対的価値基準を持たない、他者との比較という相対的価値基準に終始しているような人達とは、私はお互いに近付かないという消極的尊重のルールを護るようにしています。

それにしても、悲しきかな世間には自らを偽って暮らす人達が圧倒的多数であることは否定しがたい事実であり、またそれが人と人との間の信頼と協調のバランスを崩し、様々な社会問題を生み出し続ける根源的要因であるという認識すらもほとんどされてはいないといっても過言ではありません。

それどころか、あたかも自らに正直に暮らすことが、まるで非道徳的な行為であると主張せんがばかりの勢いですし、実際にそう公言して憚らない人達も決して少なくはありません。

そんな自らの在り様の愚かしさに自らの内なる心の声は当然に気付いているにもかかわらず、そうした人達の多くは、自らに正直に暮らすあるいは暮らそうとする人達を疎外したり、偶発的に苦境に陥る様から逆説的に自らの誤った在り様を正当化しようとすらしてしまいがちです。

自らの在り様を評価するにあたって、周囲の第三者や世間一般の相対的価値基準によらず自らの絶対的価値基準によることは、自らのすべての言動に責任を持つということに等しいわけですが、そんな社会の最低限の良識すらないがしろにされつつも非難もされないような私達の現状の社会が、公正公平な秩序や平和で満たされるはずもありません。

 

第20号 ▼Series (2)  〜日常の風景〜
      File #2-15
      自分を信じる人だけが救われる Vol.15
      /四十にして立てるか・・・その4
                          に続く

 

CoolShot #19/ 2003.10.25
Title / Illusive

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